今日は「上到米地区住民大運動会」

 今日も快晴。羽後町では町内各地で住民運動会が開催されました。

 私の住んでいる上到米地区も、今年で33回目。朝6時前から、各集落の皆さんが会場の旧上到米小学校グランドに集合して、控え所のテント設営。久しぶりに、早朝から活気にあふれていました。(私も大曲の花火から深夜に帰宅。それでも5時には目覚めました) 考えてみれば子供の数が激減し、小学校が統合してからというもの、地域の住民が一堂に会する行事はこの住民運動会だけ。小学校の閉校を受けて、「中止か継続か」の議論もありましたが、せめて、年1回は地域のみんなで交流・親睦を深めようと、一昨年から半日のプログラムで開催することを決定しました。

 午前8時30分、子供達から年輩の方までが一緒になって元気に入場行進。当番集落(会場準備等を担当)の選手が聖火を点火すると、村中に響きわたる花火があがって大歓声。いよいよ運動会の始まりです。
 
 小学生の100m競争では(オリンピックのように)一人ひとりの選手が紹介され、「頑張れ」の大声援。集落対抗の競技では応援合戦にも熱が入ります。特に上到米の伝統種目である「縄ない競争」は男性3人と女性2人の5人が1チームとなり、制限時間の中で綯った縄の長さを競います。当然、選手は経験豊富なお祖父ちゃんやお祖母さん。見事な縄ないの手捌きに会場は盛り上がりました。「集団縄跳び」や「浮気競争」、1年生から6年生までの子供達を色別に分けた対抗リレー、定番の「綱引き」などのプログラムはお昼まで。企画運営はもとより、準備から当日の役員まで、全て地域の住民の皆さんが担当し、学校や役場・公民館の職員は誰ひとり関係していない、手づくりの運動会です。そして、閉会式の万歳三唱は当番集落代表の長谷山堅一実行委員長。「万歳」と言うところを「乾杯」と発声したものですから会場は大爆笑。今年も大盛会で終了しました。

 午後は各集落ごとの反省会(懇親会)。こちらも子供達からお年寄りまで入り乱れて、ワイワイガヤガヤ。元気な笑い声が響いていました。のどかで、幸せな空気につつまれた今日の上到米地区。午後6時、「七つの子」のメロデーが防災スピーカーから放送されたころ、吹く風もようやく爽やかになり、心豊かな気持ちで私も家路につきました。

# by shouichiro_sato | 2006-08-27 18:04 | 地域活動 | Comments(0)  

ホッケー競技はスリル満点、目が離せません

 気になっていたので由利本荘市総合体育館(旧大内町岩谷)に行ってみました。23日に開会式があり、今日から競技が始まっている「全日本ローラーホッケー選手権大会」です。男子は47回、女子は19回目となる今大会は、世界選手権大会の代表選手選考会を兼ねていることもあり、日本を代表する社会人や大学生のチーム(男子14、女子10チーム)が参加しています。

 恥ずかしながら、(県ホッケー協会会長を務める)私も初めて見学しました。配布されている資料によると、ローラーホッケーは南ヨーロッパ各国ではプロチームがあるほど盛んなスポーツで、元IOCのサマランチ会長はバルセロナチームのゴールキーパーだったとか。秋田県では、平成13年(2001年)のワールドゲームズ秋田大会開催を契機に、平成8年に県連盟(現在の正式名称は県ローラースポーツ連盟、会長・初瀬武美さん)が設立され、13年にスピード・フィギュア・ローラーの大会が秋田市で開催されていました。

 しかし、過去15回ほどの大会は長野県で開催されており、今回は県連盟の熱意によって、フェンス・スポーツコートが購入され、屋内体育館で競技できるようになったことと、由利本荘市内の中学校では授業に組み入れていることもあり、普及に努めたいという関係者のご尽力が実を結び、全国大会の誘致となった模様です。

 正規のコートは40m×20m。選手は5人(GK1人含む)。競技時間は20分ハーフです。アイスホッケーのようなスピード感ですが、体当たりなどは禁止。それでも動きが速くてスリル満点、目が離せない試合展開でした。ホッケー競技そのものはイギリスが発祥地で歴史も古いわけですが、グランドから氷上(アイス)へ、そしてローラーへと拡大していったのでしょう。あらためて、その奥行きの深さを知った想いでした。

 時同じくして、25日からは宮城県栗原市で兵庫国体の予選を兼ねた「東北総合体育大会・ホッケー競技」が行われます。秋田国体まであと1年。競技力強化の成果が出てくるか、楽しみです。私も現地で応援するため、早朝に出発します。

# by shouichiro_sato | 2006-08-24 23:23 | 今日の出来事 | Comments(0)  

素晴らしい環境にある「太平山リゾート公園」

 秋田駅から路線バスで35分。または、秋田自動車道秋田中央インターから車で20分。そこには1991年にオープンした温泉とプールのレジャー施設「クアドーム ザブーン」を中心に、約236ヘクタールの広さを誇る「太平山リゾート公園」があります。ここの運営管理にあたっているのが太平山観光開発株式会社。秋田市役所を3月末に退職された伊藤高氏が、6月から社長に就任したこともあって、先日、初めて訪問してきました。

 公園内には温泉旅館の「森林学習館 木こりの宿」、4コース32ホールの「公認グランド・ゴルフ場」、「テニスコート」や「オートキャンプ場」、花の広場、スキー場「オーパス」などがあり、老若男女がアウトドアで自然と親しみながら健康増進できるように工夫されています。猛暑の毎日でも、ここまで来ると正に別天地。大自然の緑に囲まれた、素晴らしい環境でした。

 伊藤社長は、「埼玉県ふじみ野市でのプール事故を教訓に、毎日、何回も安全確認の放送をしています。19日と20日には超人ネイガーショウなどの夏祭りイベントもあり、それは大変な賑わいでした」と、嬉しい悲鳴を上げておりました。少子化時代のこれからは、健康問題に関心の高い高齢者の皆さんの利用拡大が期待できることから、「転倒予防教室」「水中歩行教室」なども実施されており、今後が楽しみです。

 ただし欲を言えば、秋田市添川・山内方向からの県道「秋田八郎潟線」の一部に狭隘な箇所があること。せっかく素晴らしい施設を整備しても、アクセス道路の改良が進まなければ、イメージも悪くて宝の持ち腐れになってしまいます。地元の県会議員さんを始め、地域の皆さんの声を大きくして、速急に実現してください。県道「横山金足線」等、市郊外の道路事情は改善されつつありますから、是非ともお願いいたします。

 豊かな自然環境を活かした施設は県内にも増えています。財政事情が厳しくなる中で、今後はこうした施設整備も抑制されるでしょうが、民間投資の少ない秋田県ですので、(自治体が長期計画を持って)少しずつでも充実されることを期待しています。

# by shouichiro_sato | 2006-08-23 10:43 | 秋田県 | Comments(0)  

10周年迎えた「たざわこ芸術村」

 今や、秋田県を代表する芸術・文化の発信地となっている、仙北市(旧田沢湖町神代)の「わらび座」。1992年に温泉施設がオープンし、95年からは常設公演が始まったわらび劇場を中心に、翌96年4月、「たざわこ芸術村」がスタートしてから今年で10周年。そこで、わらび座結成55周年と合わせた「特別公演」が、同劇場で20日開かれました。

 わらび劇場ではこれまで、数多くのミュージカルが上演されています。記念すべき第1作は「男鹿の於仁丸」。その後、「龍姫」「山神様のおくりもの」「鬼ンこおばこ」「彩風きらり」「アテルイ」「つばめ」「春秋山伏記」「銀河鉄道の夜」「よろけ養安」「棟方志功」、そして今年4月からは「義経」です。これら10年の軌跡の中から、燦めきの名曲を集めた特別ミュージカル「於仁丸から義経へ」(1幕6部構成・上演時間100分)が、披露されました。午前・午後の2回とも満員。駐車場には県外ナンバーの車も目立ちます。

 「わらび座」といえば私も小学生の頃から、学校公演などでの一生懸命な踊りや演奏を聴いて感激したものです。さらには10年前、町内の青年有志で実行委員会を組織して、「男鹿の於仁丸」公演を総合体育館で実施したり、町の成人式で(主役を務めている看板女優さんに)記念講演をお願いするなど、次第にご縁も深くなってきました。以来、常設公演にも度々足を運んできました。

 この間、たざわこ芸術村では森林工芸館やデジタルアートファクトリー(DAF)のスタート。97年に県内初の地ビール工場とレストラン、「田沢湖ビール」がオープン。98年化石館オープン。99年には北東北知事サミットの会場。04年には経営難だった県営施設を買収して「男鹿桜島リゾートHOTELきららか」オープン。そして今年4月、愛媛県に「坊ちゃん劇場」開設など、多角的な取り組みが展開されてきました。これらの活動に対して、「秋田県文化功労賞」「河北文化賞」「第1回オーライ!ニッポン大賞」「田沢湖町産業振興功労者」などが贈られています。

 県内の身近なところにこうした拠点があることは、県民の誇るべき財産です。これからも、事業の中心である「わらび劇場」での公演を一層充実し、私たちを楽しませていただきたいと思います。劇団「わらび座」から始まって、文化・芸術・交流の総合産業になりつつある「たざわこ芸術村」。私は(勝手連の)応援団員です。 

# by shouichiro_sato | 2006-08-21 12:12 | 産業振興 | Comments(0)  

今夜は特別に、「西馬音内盆踊り」

 実は今夜、「西馬音内盆踊り」を見てきました。場所は、羽後町西馬音内堀回にある「西蔵寺(住職・柿崎隆光さん)」の境内です。たった7人の踊り手(藍染浴衣に彦三頭巾3人、同編笠1人、端縫い3人)でしたが、皆さん保存会のメンバーで、お囃子も保存会の大ベテランばかり。見事でした。

 西馬音内盆踊りの起源のひとつに、西馬音内城主・小野寺氏の物語があります。それによると、西馬音内城は奥州征伐の功績でこの地方を領有した小野寺氏によって、群雄割拠する由利地方の押さえとして築城され、堀回もこのとき、城下として町割されたといわれます。その後、320年もの永い間、周辺諸将との戦場になることもなく、平和な時が流れましたが、豊臣政権への画策で雄勝郡を手に入れた最上氏は、その実質支配を目指して雄勝に侵攻。迫り来る最上勢を前に小野寺氏は自ら仕置きとして、城に火を放って退出、その歴史を閉じました。

 この西馬音内城の悲運の終焉から、今年で405年。今夜は小野寺氏の墓所がある「西蔵寺」の境内に、ふるさとの伝統芸能が集いました。「元城太鼓」「仙道子ども番楽」「元城盆踊り」「元城獅子舞」、そして「西馬音内盆踊り」です。

 西蔵寺は西馬音内川のほとり、山の裾野にあります。日が暮れて、傾斜地にほど良く配置された多くのお墓には蝋燭の火がともり、まるで「万燈会」。境内の巨木もライトアップされて、別世界です。改めて、身近な所にある新しい魅力を再発見し、感激しました。いつだったか、京都で見たことのある「万燈」より、立体的で素晴らしいものでした。「これは、羽後町の宝物になる」と、密かに微笑んでしまいました。

 寺では今秋、新参式が予定されています。ご住職のご子息が後を継ぎますが、そうした節目の機会にいい催しが開かれました。「この機会に地域の皆が難儀をし、協力し合うことで連帯感を取り戻したい」という願いで主催した、「堀回コミュニテー推進委員会(会長・長谷山英雄さん)」に感謝して帰ってきました。
 
 尚、この催しには「秋田県元気なふるさとづくり支援事業」の補助がありました。金額の多少は別として、きっかけ作りになれば効果があるというもの。お礼申し上げたいと思い、予算を執行している雄勝地域振興局の方々を会場で探しましたが、お目にかかれませんでした。(土曜日で休みですから仕方ありません。でも、昨日の西馬音内盆踊りにはたくさんおりましたのに) 残念でした。

# by shouichiro_sato | 2006-08-19 23:45 | 羽後町 | Comments(0)  

「秋田と西馬音内」、充実した一日でした

 朝の天気予報は県中央と北部で大雨洪水警報発令中。それが全県に拡大したことで心配しました。30分単位にインターネットで羽後町西馬音内の天気と雨雲の予想を確認しては、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて家を出ましたが、途中の由利本荘市は土砂降り。

 18日は午後6時半から、秋田市大町の第一会館本館で「秋銀おのば経友会」が開かれ、1時間ほど講演をする機会に恵まれました。同会は、秋田銀行御野場支店のお得意様の集まりで、会長は石川商事㈱社長の石川善春さん。派米農業研修生の大先輩であり、「秋田、これでいい会?」の特別会員であるご縁で、呼んでいただきました。

 テーマは「元気な秋田を創造しよう」。 今までの自分の体験や実践活動、知事選挙に出馬したきっかけ、これから目指すことなどについて話をしました。出席された皆さんは全員が企業の経営者か幹部役員、地域のリーダーであり、初対面の方ばかり。私も緊張してしまいました。その分、自分自身にもいい勉強になりました。貴重な時間、ご清聴有難うございました。

 終了後はビアパーテー。多くの皆さんとご挨拶することができ、石川会長には感謝、感謝。その上、「今日は金曜日。川反で2次会も用意してあるからゆっくりして。」と、ご配慮いただきましたが、18日は「西馬音内盆踊り」の最終日。何としてでも、折角来ていただいた(私の)お客さんにご挨拶することと、踊りの最後の時間に現場にいないと気がすまない性分ゆえ、後ろ髪を引かれる想いで、9時に途中退席させてもらいました。

 それから、霧の高速道路を走って(息子の運転です。ご安心を)1時間20分ほど。雨の心配もなくなった西馬音内の街は、熱気ムンムン。盆踊りも最高潮の時間を迎えています。昨年から会場が広くなったこともあり、異様なパニック状態からは解放され、この時間になれば、踊る人も見る人も落ち着いてきて、喧騒感はなし。賑やかなお囃子と踊り子の草履の音だけが会場に広がります。こうした雰囲気になってくると、ようやく私もホッとします。後は、「必ず最後まで見ていてください」とお願いしたお客さんが、クライマックスの演出にどんな反応を示すのかを確かめて、今年も終わりです。

 観光客の多くの皆さんは、帰りのバスの都合で早めに会場を後にしますが、昨日は、元国連事務次長・明石康さんご夫妻、ドイツ駐日大使ご夫妻、外務副大臣・金田勝年参議院議員をはじめ、多くのVIPの皆さんに最後の出来事?を堪能し、喜んでいただきました。

 実行委員会の皆さんはそれから後片付け。終わって、盆踊り会館のホールに車座になり、恒例の「打ち上げ会」が始まります。乾杯は午前0時30分過ぎ。3日間、事故もなく無事終了し、関係者が安堵感と充実感に浸る一瞬です。誰もが「雨が降らずに良かったなあ」と言う通り、天に、人に恵まれた「西馬音内盆踊り」でした。

 期間中の人出は初日4万人、2日目4万5千人、そして最終日が5万5千人で、合計14万人。気持ちよく缶ビールをご馳走になり、帰宅は今日未明。 皆さんご苦労さまでした。

# by shouichiro_sato | 2006-08-19 18:34 | 今日の出来事 | Comments(0)  

地域の行事、無事故で楽しく

 昨夜は羽後町五輪坂の花火大会。特別養護老人ホーム「松喬苑」の入所者の皆さんに楽しんでもらおうと、施設に関係していた企業の方々の善意で開催されていた花火大会を、「五輪坂温泉・としとらんど」のオープンを記念して規模拡大し、西馬音内盆踊りの前日、8月15日に実施してから10回目。今年も、帰省中の家族連れなど多くの人達で賑わいました。

 日中は我が家でも気温が34度にもなり、暑い一日でした。しかし、日が暮れると五輪坂の丘に吹く風はさわやかで気持ちよく(長袖持参で正解でした)、煙もほどよく流れて、絶好の花火日和。丘の上や足田堤の堤防から打ちあがる綺麗な花火の連続で、私も嬉しくなりました。実は、協賛企業へのお願いや会場準備・管理、事故防止など、実行委員会の大半の職務を役場の若手職員が担当しています。お盆休みを返上して頑張っているスタッフに感謝しながら、町の行事として定着した「五輪坂の花火」の特徴を活かし、今後も続けてほしいと願っています。

 帰宅したのが午後9時。車から降りて空を見ると、それは素晴らしい満天の星空。天の川もはっきり見えて、思わず「すごい」と声を出したほど。そして、「大曲も天気に恵まれてほしいなあ」と祈ってしまいました。そうです、来週の土曜日、26日は「大曲の全国花火競技大会」。第80回の記念大会で、例年以上の内容と人出が期待されています。今日から始まる「西馬音内盆踊り」もそうですが、一年かけて準備してきた人達にとっては心配な天候。自然の成り行き任せなことはわかっていても、週間予報から3時間予報、インターネットで見る雨雲の動きなど、目が離せません。

 そして行事中の事故防止。当然のことながら、主催者には「あらゆる事態を想定して万全の態勢をとる」ことが、求められています。人気が出れば出るほど、責任も重くなっています。ですから、参加しているお客さんにも、自分勝手な行動を慎むことや、ルールを守って楽しむことなどの協力が必要です。県内各地の夏の行事はまだまだ続きます。誇りある地域の行事が継続して発展するよう、私たちもマナーを守って楽しみましょう。

 羽後町役場は今日から3日間、無事故を祈りつつ、厳戒態勢が続きます。 

# by shouichiro_sato | 2006-08-16 12:20 | 羽後町 | Comments(0)  

「秋田地域力向上戦略会議」に期待する

 先週の8日、官民一体となった横断的な取り組みで、秋田の総合的な活性化をめざそうと、「秋田地域力向上戦略会議」が発足しました。県内の観光、旅行、運輸、建設、貿易、金融、食品、情報、農業など37の経済・業界団体代表。これに大学、行政7団体がオブザーバーとして参加する、秋田では今までに例のない画期的な会議です。呼びかけたのは秋田商工会議所で、会長には渡邉靖彦・同会頭、副会長には新開卓・秋田銀行頭取と佐藤暢男・秋田魁新報社社長が就任しました。

 県民所得をはじめ人口減少、地価の下落率などの経済・社会指標が全国下位に甘んじていることから、「このままでは秋田がますます遅れをとってしまう、という危機感をもつべきだ」(渡邉会長)として、個々の団体が実施している各種施策の調整を行い、集中的かつ効率的な投資や事業展開につなげていくといいます。閉塞感が漂う秋田県に、民間の力で風穴を開けることが出来るよう、大いに期待したいと思います。

 ただ、会議では「魅せる秋田づくり」「元気な企業づくり」「躍動するまちづくり」を戦略に掲げ、具体的には◇観光客誘致◇歴史・文化の普及◇企業の県外進出促進◇インターネットを活用した市場開拓◇中心市街地の活性化ーをテーマとした5つのプロジェクトを順次立ち上げることを確認していますが、県や市が取り組んでいる総合発展計画とも似ているようで、どうやって民間の特色を出していくのか、注目されます。県内を代表する錚錚たる顔ぶれの会議ですので、事務局を担当する同商工会議所の内部組織にとどまることなく、形式的ではない、利害関係を超えた実践組織になるように、努力してもらいたいものです。

 お盆休みを利用し、私の周りにも多くの若者たちが帰省しています。少子化で若者の数は極端に少なくなっていますが、一方ではまだまだ就職難。故郷に残りたくても、残れないのが現実です。それ故に、秋田の「地域力向上」は喫緊の課題です。未来ある若者たちに生甲斐をもてる職場を提供することは、経済界で活躍している先輩たちの責任でもありますから。 

# by shouichiro_sato | 2006-08-14 17:35 | 産業振興 | Comments(0)  

木造校舎の「旧田代小学校」が解体されています

 「残暑お見舞い申し上げます」 
 
 暑い日が続いていますが、暦の上では立秋も過ぎ、いよいよお盆ですから、これからは朝夕、涼しくなることでしょう。

 帰宅後、夕食まで時間があったので、気になっていた「旧田代小学校」の解体現場に行ってみました。少子化の影響で羽後町田代地区の田代、軽井沢、上到米の3小学校が統合し、新しい「田代小学校」が旧軽井沢小学校の校舎を使って開校したのが一昨年春。上到米の校舎は高齢者福祉の施設に改造されることになりましたが、田代の校舎は木造であったことと、すぐ近くに高瀬中学校の施設があることから、この夏、解体されることに決まっていました。

 先月から始まった解体工事は、基礎コンクリートや廃材を片付けるまで進んでいました。校舎の隣に住む阿部則夫さんによると、「大きな機械で壊されるときには、校舎から悲鳴が聞こえてきて、涙が出てきた」とのこと。私も、町長として学校統合を推進してきたものの、今は瓦礫の山となった場所に立って、何とも複雑な気持ちでした。

 それでも、校舎は解体しますが、校庭や周辺には手をかけないことにしています。学校建設当時の事情により、土地の所有権が明確になっていないため(現在、町と名義人とで協議中)、跡地利用の計画がありません。そのために、校舎の周りにある桜の木などは、今のところそのまま残すことになりました。実はこの桜、写真集「秋田の桜」(発行・無明舎、文・永井登志樹、写真・小阪満夫)の表紙に紹介されたほどの素晴らしい桜です。特に今年は、校舎の解体を惜しんでか、かつて無いほど花をつけ、それは見事なものでした。5月の連休に還暦を迎えた卒業生有志が集まって、満開の桜の校庭で行った同級会の模様は、NHKテレビでも放送されています。

 今日あたりからお盆の帰省ラッシュが始まり、田代にも多くの人が帰ってくることでしょう。故郷を離れて暮らす人達が、帰省した時に家族を連れて訪ねた自慢の木造校舎。今年はその学び舎が消え、申し訳ない気持ちもあります。しかし、今度は別の形で「元気な故郷」を創造し、喜んでいただきたいと、決意を新たにしたところです。 

# by shouichiro_sato | 2006-08-11 22:39 | 羽後町 | Comments(0)  

故浅野梅若さんの葬儀に参列

 民謡界の大御所で、民謡大国「秋田」を築いた日本民謡梅若流連合会宗家、故浅野梅若さん(勲五等雙光旭日章)の同連合会と浅野家の合同葬儀が、今日、午前11時から秋田キャッスルホテルで行われました。

 梅若さん(本名・浅野保二)は明治44年、由利郡大正寺村神ヶ村(現秋田市雄和)に生まれ、18歳頃から本格的に三味線を習い、29歳で浅野梅若を名のり、以来、旺盛な研究心とひたむきな情熱で、今日の秋田民謡の基礎を築いてきました。内弟子志願者も多く、NHKのど自慢全国大会や各民謡大会で優秀な成績を修めた人達が50人以上。その功績で、日本民謡協会最高栄誉である名人位、秋田市文化章、秋田県文化功労者などの表彰を受けています。今月4日未明、95歳と半年の生涯を閉じました。

 葬儀には県内外の民謡関係者を始め、故人に縁のある人たち400人余りが参列しました。私も、我が家(羽後町上到米)の前にある唐松神社の祭典奉納余興に、浅野梅若さん一行が度々招かれ、その際の控え所や楽屋に家の座敷が使われていたご縁で、今まで公私にわたってお世話になってきましたので、是非ともお礼を申し上げたく、出席しました。

 読経、ご焼香に続いて、ABS秋田放送取締役相談役・小山幹朗氏、秋田県民謡協会理事長・佐々木實氏、元衆議院議員・川俣健二郎氏ら6人が故人の功績や人柄を称える弔辞を奉げました。そして、孫の浅野江里子さんが遺影の前で、梅若さんが民謡と三味線に興味を持つきっかけとなり、自らも全国大会で優勝した「本荘追分」を献唄。梅若梅清さんら一門の伴奏で会場に響く素晴らしい梅若流本荘追分に、私も目頭が熱くなり、涙を禁じえませんでした。

 そして、この春(ご家族に囲まれてお酒を楽しまれた時らしい)梅若さん自身が歌った、「飴売り節」の替え歌と「大正寺音頭」が紹介されると、95歳とは思えないユーモアあふれる歌詞と張りのある声が響き、会場にはほのぼのとした空気が満ち溢れました。生前の最後の録音とのこと。正に、「芸人には定年がありません」の言葉を口癖にしてきた、梅若さんらしい葬儀でした。

 NHK秋田(テレビ)とABS秋田放送(ラジオ)ではお盆の13日、追悼番組を放送します。私も、今年のお盆は先祖の御霊とともに、秋田が生んだ「三味線一代、師匠、民謡のお父さん」を偲びたいと思います。有難うございました。合掌。

# by shouichiro_sato | 2006-08-09 18:45 | 今日の出来事 | Comments(0)