「阪神淡路大震災」から12年
2007年 01月 16日
今から12年前の平成7年(1995年)1月17日、午前5時46分。「阪神淡路大震災」が発生しました。この地震の犠牲者は6400人以上。最も被害の大きかった神戸市では、地震直後に発生した火災で家屋7000棟余が全焼。全壊した家屋は67000棟、半壊の家屋も55000棟。市役所や学校、消防署、病院などの公共施設、新幹線や私鉄の線路、高架橋、阪神高速道路、神戸港も甚大な被害を受けました。まさに、「関東大震災」以来の出来事です。
宿舎の前に出て外を見ると、岐阜市内は平穏な様子。テレビのニュースは「関西地方で大きな地震があった」と放送していましたが、詳細は不明。私はいつもの日課に従って朝食をとり、6時半過ぎには作業現場へ出勤しました。
当時、携帯電話を持っていたのは現場監督だけで、それも会社の連絡用。お昼近くになって、「至急、宿舎へ戻るように」との電話。お世話になっていた岐阜市の㈱市川工務店では急遽、地震災害復旧のための緊急支援体制がとられたのでした。早速、第1陣はバスで京都駅に向かい、そこで待機。その他のメンバーも着替えなどをリュックサックに詰めて、宿舎で待機するように指示があり、黒い煙に包まれた神戸の街や倒壊した高速道路の状況をテレビで見ながら、緊張していたことを覚えています。
それから一年後。町の仕事で町内の誘致企業である㈱秋田指月電機の本社(兵庫県西宮市)を訪問した時、初めて震災後の街をこの目で見ました。街には青いシートを屋根に張った家がたくさんあり、公園らしき広場にはプレハブの仮設住宅がぎっしり。火災の跡地と見られる空き地もあちこちにあり、テレビや新聞でしか状況把握できない私には、想像を超える被災者の暮らしがあっただろうと、目頭が熱くなりました。
しかし昨年、「兵庫のじぎく国体」で訪ねた神戸は見事に復興しており、災害の面影さえ感じませんでしたから、困難を乗り越えて頑張ってきた被災者の皆さんの苦労を思うと、感慨無量のものがあります。
あすは仏教では「13回忌」。兵庫県内では震災10年の一昨年を上回る寺院や教会などで、法要やミサが計画されているようです。地震に対する心構えや日頃の防災対策、緊急時の対応について多くの教訓を残した「阪神淡路大震災」。この事実を忘れずに後世に伝え、災害対策に活かすことが、犠牲者や被災した皆さんの苦難を無駄にしないことだと思っています。
# by shouichiro_sato | 2007-01-16 16:52 | 社会・話題 | Comments(0)