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「阪神淡路大震災」から12年

 「ドス-ン」と感じたその時、私は岐阜市の宿舎で飛び起きた記憶があります。

 今から12年前の平成7年(1995年)1月17日、午前5時46分。「阪神淡路大震災」が発生しました。この地震の犠牲者は6400人以上。最も被害の大きかった神戸市では、地震直後に発生した火災で家屋7000棟余が全焼。全壊した家屋は67000棟、半壊の家屋も55000棟。市役所や学校、消防署、病院などの公共施設、新幹線や私鉄の線路、高架橋、阪神高速道路、神戸港も甚大な被害を受けました。まさに、「関東大震災」以来の出来事です。

 宿舎の前に出て外を見ると、岐阜市内は平穏な様子。テレビのニュースは「関西地方で大きな地震があった」と放送していましたが、詳細は不明。私はいつもの日課に従って朝食をとり、6時半過ぎには作業現場へ出勤しました。

 当時、携帯電話を持っていたのは現場監督だけで、それも会社の連絡用。お昼近くになって、「至急、宿舎へ戻るように」との電話。お世話になっていた岐阜市の㈱市川工務店では急遽、地震災害復旧のための緊急支援体制がとられたのでした。早速、第1陣はバスで京都駅に向かい、そこで待機。その他のメンバーも着替えなどをリュックサックに詰めて、宿舎で待機するように指示があり、黒い煙に包まれた神戸の街や倒壊した高速道路の状況をテレビで見ながら、緊張していたことを覚えています。

 それから一年後。町の仕事で町内の誘致企業である㈱秋田指月電機の本社(兵庫県西宮市)を訪問した時、初めて震災後の街をこの目で見ました。街には青いシートを屋根に張った家がたくさんあり、公園らしき広場にはプレハブの仮設住宅がぎっしり。火災の跡地と見られる空き地もあちこちにあり、テレビや新聞でしか状況把握できない私には、想像を超える被災者の暮らしがあっただろうと、目頭が熱くなりました。

 しかし昨年、「兵庫のじぎく国体」で訪ねた神戸は見事に復興しており、災害の面影さえ感じませんでしたから、困難を乗り越えて頑張ってきた被災者の皆さんの苦労を思うと、感慨無量のものがあります。

 あすは仏教では「13回忌」。兵庫県内では震災10年の一昨年を上回る寺院や教会などで、法要やミサが計画されているようです。地震に対する心構えや日頃の防災対策、緊急時の対応について多くの教訓を残した「阪神淡路大震災」。この事実を忘れずに後世に伝え、災害対策に活かすことが、犠牲者や被災した皆さんの苦難を無駄にしないことだと思っています。

# by shouichiro_sato | 2007-01-16 16:52 | 社会・話題 | Comments(0)  

「不二家」社長が辞意表明

 大手企業のモラルが問われる出来事がまた発覚し、社長が辞任することになりました。

 「ペコちゃん」で有名なお菓子メーカー「不二家」の埼玉工場で昨年11月8日、消費期限の切れた牛乳を原料としたシュークリームを出荷していたことが明らかになりました。内部からの告発で同社幹部には13日に報告があったといいますが、クリスマスや年末商戦への影響を回避しようとしたのか、今月まで2ヶ月も公表されませんでした。それよりも、「消費期限切れ材料の使用がマスコミに発覚すれば、雪印乳業の二の舞になる」として、隠蔽を図ろうとしたような内部文書まであったことが報道されていますから、あきれてしまいます。

 その後の調査によると、同工場では賞味期限切れのリンゴ加工品を使ったアップルパイを製造したり、国の食品衛生法の規定の10倍もの細菌を含む洋菓子を出荷していたなど、数年前からのずさんな品質管理の状況が次々と明らかになってきています。食品会社でありながら、同工場には原材料の管理記録もなく、安全・衛生対策を従業員に指導するマニュアルも存在しなかったようです。消費者の「食の安全・安心」への関心が高まるなかで、今回の「不二家」の不祥事は食品業界への信頼をも揺るがしかねません。経営環境は厳しくとも、改めて、業界全体が「ルールを守る(法令遵守)」姿勢を再確認する必要があるでしょう。

 「たかがお菓子、されどお菓子」。ヒット商品一つで家業から大企業に発展した事例がたくさんあります。きのう食べた伊勢の「赤福」は300年の歴史がある全国でも有名なお餅(お菓子ですよね?)。秋田県内でも「金萬」や「だまこ餅」、「山吹まんじゅう」、「若がえりまんじゅう」等、長い時間をかけてお客さんを拡大し、成長しているメーカーがあります。伝統的な味覚もさることながら、お客さんに支持され続けるには「信用を守ること」しかないと、知り合いの経営者はいつも言っていました。

 どんな企業であっても利益追求ばかりを先行していると、「大きな落とし穴」が待っているかも知れません。やはり、ルールを守って競争しましょう。

# by shouichiro_sato | 2007-01-15 17:59 | 社会・話題 | Comments(0)  

「お伊勢参り」

 古都・奈良では昨夜、新春を彩る伝統行事「若草山の山焼き」が行われ、赤い炎を背景にした興福寺五重塔の写真が朝刊に掲載されていました。2日前の中日新聞には、愛知県渥美半島の(満開の)菜の花の写真もありましたから、「雪国秋田」では想像できないほど、身近に「春の足音」を感じるこの頃です。

 さて、岐阜に帰って最初の休日。日曜には定番になっている「吉野家」で朝食の時、「天気も良いし、初詣に行こう。きょうは日本人の心の拠り所である伊勢神宮はどうだろう」と提案したところ、即座に決定。10年近く岐阜県で働いていても、まだ伊勢神宮には参拝したことがないという同僚もいて、秋田班の文科系(日曜日には指の運動や肝臓を鍛えている体育系もいます)の仲間で出かけてきました。

 宿舎から近い長良川の堤防道路に出て、川沿いに南下すること約1時間。全国ニュースにもなった長良川河口堰のところで国道1号線に入って、桑名、四日市。その後は国道23号線で津、松坂を経て伊勢市まで。折角の伊勢路ですから、一般国道で街の状況を観察しながら片道150km、3時間半の道のりです。

 ところが、宇治山田駅前までは順調だったものの、伊勢神宮(内宮)の参道に入ると2車線道路は渋滞。途中で見た伊勢高速道の出口は高速道路上まで車が止まっていました。普段は利用できる内宮前の駐車場は、許可を受けた車以外は進入禁止で、私達は「おかげ横丁」出入口付近に車を止めましたが、お客さんが多いのにはビックリ仰天。伊勢名物「赤福」の本店前から鳥居がある五十鈴川の橋までは、年末のアメ横(東京・上野)のような、身動きできない混雑です。ちょうど昼時でしたので、伊勢うどんの店には長蛇の列。さすがに日本を代表する神様だと、納得してしまいました。

 しかし、玉砂利を歩いて五十鈴川で手を清め、巨木が生い茂る参道を進むと、次第に心も穏やかになってきます。正宮の正面で参拝し、故郷の今年の平安と繁栄を祈りました。現在の御正殿は奥(右側)にあり、社の屋根には苔が生しています。20年ごとに行われる式年遷宮は、平成25年。今から約1300年前に天武天皇が定めた制度を受け継いでいる、日本の文化は素晴らしいですね。「遷宮の後にも再びお参りしたい」と思ってしまうのですから、不思議です。

 伊勢神宮の後には二見の「夫婦岩」で手を合わせ、「カエル」の像をナデナデして安全祈願。天岩戸にも参拝して、帰路は二見から桑名まで高速道路。言いだしっぺの私が終日ハンドルを握り、2時間で無事に帰館しました。

# by shouichiro_sato | 2007-01-14 22:32 | 出稼ぎ | Comments(0)  

羽後町のホームページ

 夜勤明けの土曜日は、心身ともにホッとする時間です。

 正月過ぎに岐阜に帰ってからは夜間勤務の毎日でしたから、今週の仕事が終わった今朝は清々しい気分でした。朝食の際には各自が飲物を持ち寄って「新年会」。一生懸命に仕事をした後の、「朝湯・朝酒」も最高ですね。

 そして今夜は、昼勤務の同僚も帰ってきて再び「新年会」。楽しいお酒をいただきました。

 ところで、私が毎日見ている羽後町のホームページには嬉しい話題がありました。西馬音内の中心にある「盆踊り会館」では今日、新春特別企画の楽しい催しが行われています。午後2時からは「西馬音内盆踊り」の定期公演。さらに夜6時からは、ほう間芸の名人・悠玄亭玉八師匠の「独演会」です。ほう間芸とは、いわゆる「太鼓持ち」のこと。芸者衆とお客さんとの間をとりもち、宴会を盛り上げる役目で、東京・浅草に4人しかいない伝統芸能の担い手。その師匠が来町しています。

 「盆踊り会館」の今後の予定を見ると、15日には「新春みかんまき」と「フォルクローレ」のコンサート。その後も、23日からは西馬音内盆踊りの名手・縄野三女さんたちの優れた技法を紹介する「藍染展」。26日には「ピアノやチェロの夕べ」も企画されています。施設整備に関わった一人として、是非とも多角的に利用してほしいと思っていましたので、様々な催しがあって良かったと思います。

 さらに、同ホームページには羽後町各地の毎日の様子が写真で紹介されています。12日現在の西馬音内の積雪は36cm、田代は62センチ。役場の屋上から撮影した写真も見事でした。そんな故郷の情報にリアルタイムで接することができるのも嬉しいですね。

 ただ、故郷はこれから雪マーク続くようですから、チョッと心配しています。

# by shouichiro_sato | 2007-01-13 22:53 | 羽後町 | Comments(0)  

「アリバイ会社」?

 「アリバイ会社」なるものがあったとは、今まで知りませんでした。

 本当の勤務先を知られたくない人のために、架空の名刺や給与明細書、在籍証明書などを作成し、実際に電話があった場合にはアリバイ会社の社員が依頼者の職場の社員に成りすまして受け答えするなど、偽りの勤務先を用意するビジネスだとか。「風俗店で働く女性の利用が多く、東京や大阪などの大きな歓楽街がある地域に存在する」と、YUMIURI ONLIME(読売新聞)が伝えています。

 東京国税局が法人税法違反(脱税)容疑で、都内のコンサルタント会社を東京地検に告発したニュースを見て、「代行業務もここまできたか」と思ってしまいました。確かに社会生活をしていくには様々なルールがあり、マンションを借りたり、こどもの入園・入学など、社会的信用を得るには在籍証明や収入証明も必要な場合があります。そうした手助け?をして隠した所得は、昨年8月までの3年間で約1億5000万円。法人税約4000万円を免れていたようですから、ビックリです。

 代行業務といえば「運転代行」が一般的ですが、最近では「秘書業務」「電話取次ぎ」などのビジネスサポート部門が急速に普及してきています。飛躍的に発達した情報伝達手段を駆使して、全国はもとより世界を舞台にしたビジネスが展開される時代ですから、需要も拡大しているのでしょう。ただし、アリバイ会社を利用している人の気持ちは理解できるものの、「偽物」の証明書はどうなんでしょうか?。

 ところで昨年12月、岐阜で働いている同僚に秋田から電話があり、「正一郎君は本当に岐阜に行っているのか」と、訊ねられたとか。町内では「出稼ぎしているのは嘘だろう」という噂もあったようで・・・・・しかし、それは事実なのです。正月休みが終わった後は、9日から夜間勤務。昨年と同じ国道21号線の舗装修繕工事に就いています。私のアリバイははっきりしていますから、ご安心ください。

# by shouichiro_sato | 2007-01-12 17:49 | 社会・話題 | Comments(0)