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地域中小企業サポーター

 今朝の秋田魁新報に、地元企業にアドバイスしてその活動を支援する「地域中小企業サポーター」に選ばれた仙北市の佐藤和志さん(鶴の湯温泉社長・60歳)と、田口久義さん(田沢湖ふるさとふれあい協議会理事長・58歳)へのインタビュー記事が掲載されていました。(写真)地域中小企業サポーター_f0081443_2243194.jpg

 佐藤さんは日本秘湯を守る会副会長として特色あふれる人気の温泉経営を実践。田口さんは農業体験の伴う修学旅行を受け入れているなど、お二人とも地域資源を活かした取り組みで平成15年に国土交通省の「観光カリスマ」に選ばれています。記事を読むと「秋田を元気にするポイント」がたくさん詰まっていますから、是非とも皆さんに(その一部を)紹介したいと思います。

 佐藤さんの話 「日本本来の姿や味、香りがあるような場所が必要だ。自然環境を手入れして、木造建築の良さを生かすなど都会にはないローカルなものを打ち出すことが大切。海外旅行などを経験してきた団塊の世代前後は、今は等身大の環境が一番くつろげるところと思っているはず。ごく普通の農村のたたずまいなどに興味をもっていると思う」 「木造にこだわり、昔からの湯治場の雰囲気を残したのが結果的によそにない温泉づくりにつながっている」 「今住んでいる空間がいいという認識が薄い。農村にある日本の原風景をさりげなく演出して維持していくべきだろう」

 田口さんの話 「生徒を農家に宿泊させるために、建築基準法や食品衛生法などの法律の壁を一つ一つクリアしたり、NPO法人の認証を取って活動していた」 「地元の人が誇りを持てるような郷土にならないと発展はない。そこに住んでいる人は地元の良さに気付きにくいだろうが、地域での再発見を商売につなげていくことが必要。自分の足元から見直せば、結果はついてくると思う」 「農村には日本の文化が根付いている。グリーンツーリズムは資源を生かし、来た人の心に訴える産業ができる」

 従来の「観光事業」からもう一歩前に進んで、「交流産業」とでもいえるような取り組みです。交通体系も整備されてきましたし、情報も瞬時に交換できる時代ですから、お客さんの求めるものにマッチできれば足を運んでもらえるのでしょう。そう考えると、自然あふれる環境と食や芸能などに豊かな文化を持つ「ふるさと秋田」は、資源の宝庫ですね。 

# by shouichiro_sato | 2007-07-06 22:32 | 産業振興 | Comments(0)  

8月10日に「総決起大会」開催

 昨夜、佐藤正一郎後援会(会長・佐藤正夫さん)の事務局会議を行い、これからの政治活動への支援強化を図る「総決起大会」を8月10日(金)午後7時から、羽後町活性化センターで開催することを決定しました。

 後援会では毎年、会員が一同に会する集会を開いてきましたが、私が昨年秋から岐阜県で働いていたことや今年春には県議会議員選挙があったこと。さらには参議院議員選挙が今月12日に公示され29日に投票が行われることなどから、今年の会合を何時にするのか模索してきました。しかしながら仲間の皆さんからは、「これからどうする気だ」「自身の考えていることを早く知らせてほしい」などという声も多く、参院選の終了後に急いで準備し、お盆前に私の決意を語る機会を作っていただくことになりました。

 「秋田、これでいい会?」(会長・山村巌さん)でもこの時期には「夏の会員の集い」を計画していましたが、今年は羽後町での総決起大会を共催して行なうことを世話人会で話し合っており、私の地元から県勢発展の為の政治活動を加速することにしています。会員の皆様には今月下旬にご案内の文書を送付させていただきますので、この機会に「元気な秋田を創造しよう」という羽後町の仲間の皆さんとも交流を深めていただければ幸いです。

 マスコミの世論調査では自民党の大苦戦が予想される参院選。結果によっては政局が大きく動く可能性もありそうです。また、秋田県政も寺田知事と県議会の対立の溝がますます深まっていくようで、今後の展開は予断を許しません。だからこそ、秋田県のこれからについてのビジョンを示して県民の皆さんに問題提起することは、「知事選挙に立候補して寺田氏と対峙した私自身の責務」であると思っています。総決起大会が県民の皆様にこれからの秋田を考えるきっかけとなるように、しっかり準備したいと思います。

# by shouichiro_sato | 2007-07-05 22:44 | 政治活動 | Comments(0)  

「あやめ」が満開

「あやめ」が満開_f0081443_22574254.jpg

 家の玄関先にある「あやめ」が満開になりました。(写真) 母が貰ってきて植えていたもので、今では家の周りに増えていき、紫や白の花が咲き誇っています。

 この季節は横手市浅舞(旧平鹿町)のあやめ公園など、県内では季節の花が見頃です。美郷町では千畑のラベンダー園が多くの観光客で賑わっているように、花を見て怒る人はいませんから、やっぱり花の魅力は「心の安らぎ」ですね。我家のあやめにもそんな気持が湧いてきます。家の周囲では春から「桜」に「ツツジ」、そして「あやめ」。この後も「アジサイ」や「ダリヤ」、「ユリ」、「ひまわり」と季節の花が続きます。田園地域だからこそ感じられるこうした季節感にホットする時間もあり、この価値観はコンクリートの住居に住む皆さんには理解できないだろうと、自己満足しています。

 今夜は11時過ぎから雨が本降り。ここでは被害が出るような豪雨ではありませんが、梅雨特有のジメジメした空気が漂っています。こうした季節だからこそ、庭に咲くあやめや夜に乱舞する「蛍のあかり」に元気をいただいています。美しいものを美しいと思える、純粋な気持を持ち続けたいと思っています。

# by shouichiro_sato | 2007-07-04 23:36 | 家族・仲間 | Comments(0)  

「しょうがない」防衛大臣の辞任

 当然といえばそれまでですが、アメリカの原子爆弾投下を「しょうがない」と発言した久間章生防衛相が、きょうの午後になって(突然)辞任しました。目前の参議院選挙への悪影響を懸念して、早期の幕引きを図る狙いがあるのでしょうが、安倍内閣にとっては発足約9ヶ月で3人もの閣僚が交代する異常事態です。

 久間防衛相は30日(日)、千葉県柏市内で講演した際に第2次世界大戦でのアメリカの原爆投下について、自らが長崎県出身でありながら「あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と発言。安倍首相もこの発言について「米国の考え方について紹介したと承知している」と、問題視していませんでした。しかし野党は「防衛相としてふさわしくない。あるまじき発言だ」(民主党・菅代表代行)、「不用意な発言であり、罷免要求までいく話だ」(国民新党・亀井幹事長)と、猛反発。与党内にも参院選への影響を危惧する声が出始めました。

 その後の動きです。1日、久間防衛相は朝のテレビ番組で「別に訂正する必要はない。誤解を与えているとすれば丁寧に説明しなければいけない」と述べたものの、批判が拡大したことで正午過ぎに行なった長崎県島原市での記者会見で、前日の発言を事実上「撤回」。安倍首相は小沢民主党代表との党首討論会で「国民に誤解を与える発言は厳に慎まなければならない」と、ようやく適切でなかったとの認識を示しました。

 2日、安倍首相が「厳しく久間防衛相に注意」して事態収束を図ろうとしましたが、被爆者団体などが抗議集会を開いて「大臣辞任」を求める運動が起こったのをはじめ、長崎市議会では「原爆投下容認発言撤回を求める意見書」を全会一致で採択。3日に田上市長が上京して久間防衛相に直接抗議することにしました。「しょうがない」防衛大臣の辞任_f0081443_23231147.jpg

 きょうは連立与党の公明党からも辞任を求める声が強くなり、結局は「選挙優先」で大臣交代。政権のダメージ拡大を恐れて「かばい続けて」きたことも、安倍首相の決断力不足を露呈することになりました。(写真・辞任を伝える今夜のテレビ朝日「報道ステーション」) こうなるのであれば、問題発言があった時点で厳しく問いただし、罷免するぐらいのリーダーシップがあれば国民の信頼回復につながったでしょうが、今更悔やんでも「しょうがない」話です。安倍首相の「ひ弱さ」「軽さ」だけを印象付けた結末となっています。

 会期を延長して数の力で強引に法案を通してきた手法も、良い印象ではありません。久間発言の時期(6月30日と7月1日)に行なわれた共同通信社の世論調査(3日付・秋田魁新報)では、安倍内閣の支持率は32・0%で昨年9月の内閣発足以来、最低を更新。参議院の議席でも「与党が過半数を割ったほうがよい」が52・4%で、「過半数を維持したほうがよい」32・5%を大きく上回っています。まさに崖っぷちに立つ安倍首相、起死回生の秘策はあるのでしょうか。

# by shouichiro_sato | 2007-07-03 23:48 | 国政・時事 | Comments(0)  

ありがとう、菅原賢太郎さん

 回復されるものと信じていたのに、羽後町田沢の菅原賢太郎さんは57歳の男盛りでありながら、帰らぬ人となってしまいました。

 私が高校を卒業して農業に従事した頃、最初に出会った先輩は羽後町農業近代化ゼミナールの皆さんです。3歳年上の菅原さんは兄貴分のような存在で、会合の度にお世話になり、お宅にも時々泊めていただく程の関係でした。既に和牛の繁殖経営に取り組んでおりましたが、誠実で優しく、怒った顔など一度も見せたことがありません。

 しかしながら昭和50年代、町内の畜産農家の皆さんの経営が危機的状況になり、事業から撤退する人が多くなってきた時に、菅原さんは肥育部門に事業転換。それからは幾多の困難を乗り越えて、今では秋田県内屈指の肥育牛生産農家として県指導農業士にも認定されています。県内の肉牛業界では、「羽後の菅原賢太郎」を知らない人はいないといっても過言ではないでしょう。経営が軌道に乗ってからは社会奉仕活動にも積極的で、「西馬音内ロータリークラブ」の会員としても頑張っておりました。

 また、菅原さんは出会った当初から私にとって応援団長のような存在で、町議会議員選挙に初めて立候補した時からきょうまで、「いい町をつくろう」と一緒に戦ってきた仲間であり、心の支えでもありました。「秋田、これでいい会?」にも設立当初から特別会員として参加しています。「うご牛(べご)まつり」実行委員長や「羽後町肥育牛組合」組合長なども歴任し、横浜の食肉市場へは何度も一緒に足を運んでいます。物静かでどっしりしたタイプ。お酒を愛し、歌を愛し、いつまでも付き合ってくれる同士であり・・・・・思い出は尽きません。

 昨年の7月に病気が見つかり入院。10月には退院して仕事に復帰したものの、今年3月始めに再入院し、そのまま6月30日午後10時前に逝去されました。奥さんの話では病気のことは菅原さん自身が一番良く知っており、再入院してからは家庭のことや今後の畜産経営のことについての指針を示していたとのこと。いかにも実直な菅原さんらしい生き方です。今朝、菅原さん宅で最後のお別れをしてきましたが、安らかなお顔でした。「二人で頑張ってきたから、本当にご苦労さんと言ってあげたい。父さんありがとう」という奥さんの言葉に、私も同じ想いでした。

 神葬祭は午後3時から湯沢グランドホテルで行なわれ、羽後町肥育牛組合の和泉嘉郎組合長(羽後町議)が弔辞を述べました。羽後町の畜産発展のために苦楽を共にしてきた農家の仲間の皆さんの沈痛な想いが伝わってきて、目頭が熱くなりました。

 どうかこの上は、天上から残されたご家族や仲間の皆さんを見守ってあげてください。心からご冥福をお祈り申し上げます。菅原賢太郎さん、誠にありがとうございました。 合掌。

# by shouichiro_sato | 2007-07-02 22:09 | 産業振興 | Comments(1)