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ご結婚おめでとう

 昨夜、秋田市で友人の結婚をお祝いする会がありました。秋田県市町村会館にある「市町村振興協会」に務めている東海林朋恵さんが、来月20日に岩手県に在住する方と結婚することになり、有志が集まって激励?したのです。

 県市町村会館は今から10年位前、旧自治会館が老朽化したために改築され、その建設資金には「自治宝くじ」の収益から自治体に配分されるお金を積み立てていたものが当てられた記憶があります。私も若輩ながら羽後町長として町村会の一員でしたので、改築竣工祝賀会や町村会創立80周年記念事業などに参加しました。

 当時、市町村長の中で最年少だった私は、大先輩の皆さんよりも同世代の職員や若い皆さんと話をすることが多く、2次会に集まった職員で唯一の独身だった東海林さんを会長にして、親睦団体「やろう会」を結成したのです。会の名前は(例えば私の選挙の時など)仲間に何かあった時に「皆で激励してやろう」ということから付けられました。例会場は市町村会館の地下にある「館(やかた)」。館の看板、素敵な女将さんは山形県新庄市出身で、私がアメリカで研修していた時の友人のお姉さん。板前のご主人と二人三脚で自治会館の頃から地下で営業しており、「旨い料理といいお酒、手頃な勘定」で評判のお店を作ってきました。
 
 東海林さんは秋田市で建設関係の仕事をしているご両親の一人娘。「県外の方と結婚されるのは残念だ」「秋田にいい男いながったが」などと、皆で彼女を質問攻めにしましたが、幸せいっぱいの表情に納得。秋田に帰ってきた時には(?、里帰りの意味です)、またこの会を開こうと決めて、後任会長の選出は議題になりませんでした。ご結婚おめでとう_f0081443_20535031.jpg

 27日で東海林さんも寿退職。いつも明るく、元気な声で楽しい雰囲気を作ってくれてありがとうございました。ご多幸を祈っています。

 (前列中央が東海林さん、女将さんは和服がお似合いです。市町村会館・館のお座敷にて)

# by shouichiro_sato | 2007-04-26 20:59 | 家族・仲間 | Comments(2)  

花の季節

 由利本荘市から秋田市にかけての沿岸部では桜の花も満開になりました。この季節の秋田県地方は、梅や桜、スイセンにチューリップ、それに菜の花も一斉に咲きだして、まさに「春爛漫」そのもの。

 今朝のABSラジオによると、20日から桜まつりが始まっている観光名所・仙北市「角館」では、武家屋敷通りの枝垂桜は2~3分咲き。桧木内川堤はようやく咲き始めた模様とか。早くも県外からのお客さんが多数来ている様子で、5月5日までの桜まつり期間中は大変な賑わいとなることでしょう。今や全国的な桜の名所となった角館は、歴史と文化が漂う個性的なまちづくりの成果が着実に現れている感じです。
 
 豊かな田園風景と伝統芸能の宝庫である秋田県は、四季それぞれが変化に富んだ「美しい国」。県内各地に魅力がいっぱいですから、大いに自慢したいものです。

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(写真は由利本荘市西目「ハーブワールド秋田」入口にある4haの菜の花畑と2kmの桜並木。近くの保育園児が迷路内を元気に散策しています)
 
 

# by shouichiro_sato | 2007-04-25 17:20 | 今日の出来事 | Comments(1)  

残念なニュース

 昨夜からきょうにかけて、残念なニュースが続いています。

 県民挙げて飲酒運転の撲滅運動に取り組んでいる時に、秋田魁新報の記者が飲酒運転(酒気帯び)で逮捕され、懲戒免職処分になりました。この記者には免許更新を怠っていた無免許運転の疑いもあり、郷土の新聞社のメンツも丸つぶれ。今朝の新聞には編集局長が自ら、「言語道断、あってはならない事態で深く恥じ入っております」とのお詫びを掲載しました。

 同紙面には社会の番人である前橋地方検察庁の検事が、同僚女性の胸を触ったセクハラ行為で懲戒処分を受け、後に辞職した記事もありました。

 さらに、先月17日の未明に宮城県栗原市の健康福祉課長(当時54歳)が殺害された事件で、逮捕されたのは21歳の男と4人の少年男女。「遊ぶ金がなくて襲った」(河北新報)という身勝手な動機も許されませんが、ことのきっかけは被害者がツーショットダイヤルに電話して出かけていったようですから、驚いてしまいます。秋田県内でも県北の僧侶(31歳)が17歳の少女にわいせつな行為をしたとして、県青少年健全育成条例違反の疑いできょう逮捕されています。都市や地方に関係なく、各地で職務や立場を自覚していない「破廉恥行為」が後を絶ちません。残念なニュース_f0081443_13323261.jpg

 そういえば、秋田市の事務所に行く途中に通った国道398号の(羽後町と由利本荘市との境にある)「女夫坂」。峠を越えたら道路の周囲には空き缶やペットボトルが散乱していました。たぶん冬季間にポイ捨てしたものが雪解けとともに出てきたのでしょうが、ドライバーのモラルも一向に改善されていません。私の住む上到米地区では全戸が参加して、毎年4月29日(祝日)の午前6時から峠のクリーンアップを実施しますが、その度に「何でこうするの」とボヤク声が上がります。事柄の大小は別にして、身近なところでも「社会のルールを守る」道徳心が揺らいでいます。

# by shouichiro_sato | 2007-04-24 20:57 | 社会・話題 | Comments(0)  

注目された地方選挙

 きのう投開票が行われた統一地方選挙・後半戦は、全国から注目された市町村が多くありました。

 選挙戦の最中に立候補している現職の市長が拳銃で撃たれて死亡し、補充立候補の受付が行われた長崎市。約350億円の巨額の赤字を今後18年かけて解消する計画を進める、財政再建団体の夕張市。高レベル放射性廃棄物最終処分場の候補地選定をめぐり町長が辞職し、その賛否を問うた高知県東洋町。合併後の最初の町長選挙で候補者が多く、法定得票を確保できるか心配されていた宮城県加美町。44年ぶりの首長選挙となった福島県桧枝岐村や24年ぶりの秋田県上小阿仁村など、住民の判断がどのように表れるのか、興味津々に「開票速報」を見ていました。

 結果、長崎では優勢に選挙戦を進めていた市長の支持基盤がそのまま維持されず、「世襲でリーダーを選ぶべきでない」として、補充立候補の締め切り直前に届け出た元市課長の田上富久氏(50歳)が、豊富な行政経験も期待されて当選。夕張では同市出身の元会社社長・藤倉肇氏(66歳)が会社経営の実績を行政運営に活かすと訴えて当選。東洋町では反対派が当選して「候補地調査は白紙」。加美町では予想通りに再選挙が実施されるとか。桧枝岐村では告示日に立候補表明した元総務課長が元村議会議長を破り、上小阿仁村では約50年ぶりに村に帰り、一年前から草の根運動を展開していた日大教授・小林宏晨氏(69歳)が、39票の僅差で当選しています。

 さらに県内では秋田市、大館市、上小阿仁村、東成瀬村の議会議員選挙も行われ、新しい議員が決まりました。いづれの選挙も激戦だったことでしょうが、当選された皆さんには届かなかった候補者に投票した有権者の気持も汲み取って、ほとんどの候補者が訴えた公約である「地域の再生や雇用の確保、少子高齢化対策」などの実現のために誠心誠意、努力してもらいたいと思います。私は、「住民にとって最も身近な立場にある市町村議員や市町村長の姿勢が、県や国の政策をも変えていくことができる存在である」と考えていますので、期待しています。

# by shouichiro_sato | 2007-04-23 21:52 | 国政・時事 | Comments(0)  

「川反食堂」が閉店

 羽後町田代地区で唯一の食堂だった「川反食堂」が昨日、21日午後9時で閉店しました。「川反食堂」が閉店_f0081443_212952.jpg  

 「川反食堂」は同所で自転車店を営んでいた佐藤慶助さん(70歳)が昭和49年にオープンして以来、今日まで田代地区の住民の拠り所として、さらには田代を訪ねてくれた人たちの社交場として賑わってきました。「嫁こいトラクター・デモ」などのユニークな活動をしてきた「田代後継者会」の発起人会が開かれたのも同食堂の2階。田代農協や役場支所の会合での懇親会の例会場。NHK総合テレビの全国番組「昼どき日本列島」で、田代の「花嫁道中」が生中継された時の現場にもなりました。 (写真は川反食堂の閉店を伝える4月19日付・秋田魁新報)
 
 ここのメニューのお薦めは何といっても「納豆ラーメン」。佐藤さんが地元の郷土料理である「納豆汁」からヒントを得て、昭和55年に店頭デビュー。キャベツなどの野菜たっぷりの味噌ラーメンとドンブリの底に隠れたひき割り納豆の絶妙なバランスが人気を呼び、名物ラーメンとして専門書やマスコミで数多く紹介されてきました。

 しかし、田代の中心的な存在であった田代農協が平成10年に合併して、「こまち農協田代支所」になり、役場の「田代支所」も一昨年に廃止されたことから、利用者が減少していた模様です。そのうえ佐藤さんも今年で70歳。これを区切りに店をたたむことに決めていたといいます。先週初めには、感謝の言葉とともに「21日に閉店」する旨の新聞折り込みの広告が町内に配布されました。

 ところが、閉店を惜しむ往年の「納豆ラーメン」ファンが大勢押しかけ、店は連日、超満員。私の家族がお邪魔した閉店前日(20日)の昼には、何と1時間30分以上の待ち時間だったとか。午前11時の開店と同時にお客さんがやってきて、「閉店の午後9時まで立っぱなしだった」「身体が続くか心配だった」と、嬉しい悲鳴をあげていました。それだけ地域に愛されていたのですね。「川反食堂」が閉店_f0081443_21361028.jpg

 きょうの夕方、食堂の前を通りかかったら佐藤さんが「21日に閉店しました。誠にありがとうございました」という張り紙をしておりました。私は昨夜、秋田からの帰りに食堂に寄って「お疲れ様でした」と挨拶してきたものの、所用があって最後の納豆ラーメンを食べることはできませんでした。申し訳ない気持でいっぱいですが、今後のご健康とご多幸を祈念して写真を撮らせていただきました。「川反食堂」の長年に亘るサービスに、心からお礼申し上げます。

# by shouichiro_sato | 2007-04-22 19:53 | 羽後町 | Comments(0)