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「村岡敏英君を励ます会」開催

 9日(日)午前11時から、横手市のセントラルホテルで「村岡敏英君を励ます会」(発起人代表 横手市・針生敬三先生)が開かれました。横手・大仙・湯沢・仙北の各市に美郷町、東成瀬村、羽後町から1000人を越える参加者があり、これからの村岡さんの政治活動を支援しようと、熱気につつまれていました。

 村岡敏英さん(45歳)は昨年9月、突然の衆議院・郵政解散の総選挙に、秋田3区から無所属で立候補したものの、自民現職・御法川信英さんと民主公認・京野公子さんに及ばず落選。以来、捲土重来を期して地道に草の根運動を始めており、その初志貫徹の思いを支えるため、村岡さんの公私にわたる指導者であり、「ビートたけしのTVタックル」でおなじみの政治評論家、三宅久之氏が「政治家を叱る」というテーマで90分も講演されるなど、充実した内容でした。前日の8日にも由利本荘市で同会が開催され、やはり1000人以上の方々が参集したとのことですから、敏英さんへの期待が益々高まっている表れでしょう。

 村岡さんは挨拶の中で、「衆議院秋田3区で頑張りたい。選挙はいつあるかわからないが、田園からの革命をめざして一生懸命に努力します」と、力強く決意表明。政界の一部では来年の参議院議員選挙の候補者として名前が出てくるのではないかとの噂もあったようですが、本人はぶれることなく「衆議院」と言明しました。ただ、秋田3区は自民現職と民主の公認候補がいますから、三宅氏が言うとおり「今の選挙制度では、無所属では戦えない。政党に所属するべきだ」とすれば、政党との関係をどのようにするのか、今後の課題として注目されます。

 一方、日本歯科医師会会長から故橋本竜太郎氏に1億円献金された問題で、政治資金規正法違反に問われたものの、無罪判決となった敏英さんの父、村岡兼造元官房長官も在宅起訴されてから今日までの心境を語り、「まったく身に覚えのない濡れぎぬで、皆さんには本当にご心配をかけました。被告の立場にあった時に息子の選挙があり、何もできないでしまった。28回の裁判を経て完全無罪となったが、国家権力(検察)を相手に冤罪を晴らすことは大変なことだった」と、感慨深く述べておられました。無念さがにじみ出ているご挨拶で、目頭が熱くなる想いでした。

 針生先生の開会のご挨拶には「これからも厳しい道を歩くことになるかもしれない。しかし、彼には、困難に立ち向かう勇気、郷土を愛する心、新しい時代を創る力強い情熱と信念がある」とありました。敏英さんには父親を支えながら中央政界で学んだ識見と豊富な人脈を、是非とも秋田と日本の未来のために活かしてほしいと思います。ただし、政治家を目指す人は必ず選挙の洗礼を受けなければなりません。それ故に「念力岩を通す」と信じて、努力するしかありません。

# by shouichiro_sato | 2006-07-10 14:36 | 政治活動 | Comments(0)  

「泰山堂」、10周年を迎えました

 昨日の夕方、仙北市西木町の藤井けい子さんから電話がありました。今日は藤井さんが経営している農家レストラン・農家民宿「泰山堂」が10周年を迎えた記念日とのこと。電話の向こうの賑やかな様子を聞いて、早速、田代後継者会の阿部則夫会長と駆けつけました。

 わらび座(旧田沢湖町神代)にやってきた修学旅行生の農業体験を受け入れたのがキッカケといいますが、ご主人の直市さんの理解もあって、屋敷内に2階建て住宅の「泰山堂」を建設し、本格的に民宿を始めたのが10年前。勿論、秋田県の農家民宿第一号でした。今でこそグリーンツーリズムへの取り組みは県内各地にありますが、当時の県立農業短大・青木辰司先生の指導もあり、注目されてきました。私もオープン当初から何回かお世話になっています。囲炉裏のある居間や清潔なバス・トイレ。寝室も洋室(ベット)と和室があり、10人ぐらいは宿泊可能。料理もけい子母さんの手作りで申し分ありません。

 昨夜はそんな藤井さんご一家のフアンが、近くの集落会館に50名ほど集まっていました。大阪、長野、神奈川、東京などからきた仲間の皆さんで、まるで家族会のような雰囲気。皆さんはここに来て、命のセンタクをしているとか。「前には山々、左右は田圃、振り向けばまた山々。何にも無い所が一番いい。」という歌詞で記念の歌をプレゼントしてくれた大阪の元公務員ご夫婦もおりました。地元で藤井さんを応援している女性は、「朝、散歩しているお客さんに、何処からきたの? と声を掛けるのが当たり前の光景になった」と、地域にすっかりなじんでいる「泰山堂」の様子を誇らしく話してくれました。

 集会所での中締めは午前0時。それから、泰山堂の囲炉裏を囲んで話は続きました。私たちは未明にギブアップ。梅雨空の影響で雲が多く、天の川の星を見ることは出来ませんでしたが、多くの出会いがあった七夕の夜でした。感謝、感謝。

 何にもない田舎でノンビリしたい人、心のリフレッシュを望まれる方、お薦めです。
 
 「泰山堂」は 仙北市西木町小渕野字落合56  ℡ 0187-47-3103 

# by shouichiro_sato | 2006-07-08 19:08 | 産業振興 | Comments(0)  

まだ終わっていない「秋田空港ビル問題」

 建国800年を記念してモンゴルを訪問している寺田知事ら県代表団はウランバートルで3日、北京から現地入りした金田勝年外務副大臣とともに、エンフバヤル大統領とエンフボルト首相をそれぞれ表敬訪問しました。今回の訪問は、「秋田・モンゴル友好の旅(斎藤正寧団長・秋田モンゴル友好協会会長)」に同道しているもので、前日には同市郊外で開催された「草原祭」に参加して、両国の文化交流会を行なっています。羽後町から参加者した16名は「西馬音内盆踊り」を披露しました。

 秋田とウランバートルは、秋田空港からのJALチャーター機で約5時間。便利な世の中になったものです。正しく秋田空港は秋田の玄関口。各都市とを結ぶ路線の拡大や不足する駐車場の整備など、まだまだ課題はありますが県民の期待も大きく、その役割は一層、重要なものとなってきています。

 その中心にあるのが「秋田空港ターミナルビル㈱」。同社には前社長時代に発覚した不適切な交際費の私的乱用問題や人事をめぐる諸問題に「けじめ」をつけ、一日も早く県民の信頼を回復することが必要ですが、またまた不思議なことがおきています。

 同社が社員を刑事告訴しようとしてみたり、県議会に38年ぶりの地方自治法第100条による「調査特別委員会」が設置されたりと、県政の信頼を大きく揺るがした問題では、「寺田知事の責任は重大(特別委員会委員長報告)」とされましたが、知事は一貫して「引責」を否定。「会社正常化のめどがついた」として先月末、代表取締役会長を退きました。これで一区切りかと思いきや、今度は社長(品田・県出納長)提案で、新設される取締役相談役に就任とか。一体、どういうことでしょう。品田社長は「立体駐車場整備などもあり、県と一体となって取り組む必要がある」と述べていますが、なにも相談役のポストを設けなくとも、社長自身が現職の県幹部ですから常に情報交換は出来ますし、役割は果たせたはずです。

 寺田知事にとって、空港ビルから離れられない何かがあるのか、興味があります。このことからしても、もう一度「秋田空港ビル問題」の本質は何なのか、検証する必要がありそうです。

# by shouichiro_sato | 2006-07-04 22:42 | 秋田県 | Comments(0)  

豪雨の中で、熱戦展開

 先月までは、「今年の秋田は空梅雨かな?」などと思っていましたが、やはり降ってきました。畑も乾燥していましたから、多少の雨なら恵みの雨ですが、ここにきて県内には大雨・洪水警報と注意報が発令されています。週間予報には雨マークが続いていますから、心配です。

 羽後町でも昨日の午前中は集中的な豪雨がありました。毎年、7月の第一日曜日は「町消防訓練大会」開催日。羽後中学校のグランドでは、600人を超える団員が分団対抗の優勝旗をめざして、「雨にも負けず」の気合を漲らせ、整然かつ凛々しく頑張っておりました。さすがは羽後町消防団、頭が下がります。一方、来年の秋田国体・ホッケー競技会場となる町多目的運動広場では「2006 社会人ホッケー東北選手権大会」が行われました。優勝は、男女ともに今年も岩手県チームでしたが、「打倒、岩手」をめざす、秋田や山形勢の気迫と競技力も一段とアップし、手に汗握る素晴らしいしゲームが展開されました。

 国体での上位入賞を目指す秋田県のホッケーチームは、ただ今、強化の真最中。45年前の秋田国体を機会に、当時の船川水産高校(男鹿市)や羽後高校など県内の4高校にクラブが発足。社会人チームは男鹿市役所が中心だったとか。その後は取り入れる学校もなく、県内ではマイナーな競技となっていました。しかしながら20年程前、羽後高校では校舎の移転改築を機会に専用コートが整備されたこともあり、ホッケーへの関心も再浮上。ついに、インターハイに出場するなどの実績が積み重ねられたことから、今日の秋田のホッケー競技は羽後町が中心地となっています。国体開催が決まってからは県協会の事務局も男鹿市から羽後町に移り、東北でも最新の人工芝コートが完成したことで、一段と熱が入ってきています。

 特に注目されるのは、成年男子。県外で活躍した多くの選手が秋田チームに加わり、選手層が厚くなってきました。やがては「日本一」も期待されるチームだけに、楽しみです。ただ、県協会の会長である私の悩みは、優秀な選手の就職難。「秋田で頑張りたい」という若い方々はまだまだいますが、そうした選手を雇用してくれる職場が少なく、折角のチャンスを逃してしまうこともありました。

 それだけに、豪雨の中で必死に白球を追う選手たちを見ていて、「何んとかして、若者が定住できる秋田にしなければ、国体の総合優勝も県勢の飛躍もありえない」と、考えておりました。

# by shouichiro_sato | 2006-07-03 14:09 | 秋田わか杉国体 | Comments(0)  

どうする?「国体アドバイザー」

 6月定例県議会が昨日閉会しました。争点となる議案も少なく、議論は低調だったといわれていますが、新聞紙上で話題となったのは、「国体アドバイザー報償費」が盛り込まれた一般会計補正予算案への対応でした。

 来年の「秋田わか杉国体」と「わか杉大会(障害者スポーツ大会)」を県民総参加で成功させようと、県民にボランテアを呼びかけていながら、今年3月に任期を2年残して辞職した前教育長・小野寺清氏を、月額報酬30万円の非常勤特別職として起用することについては、異論を唱える議員が会派を超えて多くいたといわれます。私も、県民感情からして当然のことと思います。しかし本会議での採決の結果は、意見が割れた自民党の議員8人が退席し、反対したのは共産党だけ。原案通り可決されました。

 確かに、46年ぶりの大イベントを前にして、「選手強化などの面で水を差すのは避けたい」との思いもわかりますが、辞職した前教育長を有給で起用して各高校に対する影響力を期待しなければならないほど、盛り上がりに欠けているのでしょうか。県体育協会からもそうした要請があったと知事は述べています。だとすれば、小野寺氏は国体が終了するまで任期を全うすべきだったと思います。3期目を受諾する時点で国体の開催は任期中と決まっていたのですから。

 寺田知事は「県が辞令交付することでアドバイザーの役職を果たせる。ボランテイアでは対外的に効力がない形になる」との認識とか。こうした一連の動きについて、小野寺氏自身は公の場ではまだ発言をしていませんから、今後が注目されます。

 ただ、辞任の決意が固かっただけに退任後の人生設計は出来ていたと思いますので、思い入れの強かった国体で(自らの)果たす役割が保障される以上は、「報酬は選手強化費に役立てるため、県体育協会に寄附したい」などという事になれば、県民も拍手喝采すること間違いなし。ボランテイアへの参加も一気に増えると考えますが・・・・・いかがでしょうか、小野寺先生。

# by shouichiro_sato | 2006-06-29 18:00 | 秋田わか杉国体 | Comments(0)