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2007年 07月 02日 ( 1 )

 

ありがとう、菅原賢太郎さん

 回復されるものと信じていたのに、羽後町田沢の菅原賢太郎さんは57歳の男盛りでありながら、帰らぬ人となってしまいました。

 私が高校を卒業して農業に従事した頃、最初に出会った先輩は羽後町農業近代化ゼミナールの皆さんです。3歳年上の菅原さんは兄貴分のような存在で、会合の度にお世話になり、お宅にも時々泊めていただく程の関係でした。既に和牛の繁殖経営に取り組んでおりましたが、誠実で優しく、怒った顔など一度も見せたことがありません。

 しかしながら昭和50年代、町内の畜産農家の皆さんの経営が危機的状況になり、事業から撤退する人が多くなってきた時に、菅原さんは肥育部門に事業転換。それからは幾多の困難を乗り越えて、今では秋田県内屈指の肥育牛生産農家として県指導農業士にも認定されています。県内の肉牛業界では、「羽後の菅原賢太郎」を知らない人はいないといっても過言ではないでしょう。経営が軌道に乗ってからは社会奉仕活動にも積極的で、「西馬音内ロータリークラブ」の会員としても頑張っておりました。

 また、菅原さんは出会った当初から私にとって応援団長のような存在で、町議会議員選挙に初めて立候補した時からきょうまで、「いい町をつくろう」と一緒に戦ってきた仲間であり、心の支えでもありました。「秋田、これでいい会?」にも設立当初から特別会員として参加しています。「うご牛(べご)まつり」実行委員長や「羽後町肥育牛組合」組合長なども歴任し、横浜の食肉市場へは何度も一緒に足を運んでいます。物静かでどっしりしたタイプ。お酒を愛し、歌を愛し、いつまでも付き合ってくれる同士であり・・・・・思い出は尽きません。

 昨年の7月に病気が見つかり入院。10月には退院して仕事に復帰したものの、今年3月始めに再入院し、そのまま6月30日午後10時前に逝去されました。奥さんの話では病気のことは菅原さん自身が一番良く知っており、再入院してからは家庭のことや今後の畜産経営のことについての指針を示していたとのこと。いかにも実直な菅原さんらしい生き方です。今朝、菅原さん宅で最後のお別れをしてきましたが、安らかなお顔でした。「二人で頑張ってきたから、本当にご苦労さんと言ってあげたい。父さんありがとう」という奥さんの言葉に、私も同じ想いでした。

 神葬祭は午後3時から湯沢グランドホテルで行なわれ、羽後町肥育牛組合の和泉嘉郎組合長(羽後町議)が弔辞を述べました。羽後町の畜産発展のために苦楽を共にしてきた農家の仲間の皆さんの沈痛な想いが伝わってきて、目頭が熱くなりました。

 どうかこの上は、天上から残されたご家族や仲間の皆さんを見守ってあげてください。心からご冥福をお祈り申し上げます。菅原賢太郎さん、誠にありがとうございました。 合掌。

by shouichiro_sato | 2007-07-02 22:09 | 産業振興 | Comments(1)