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記者会見

 あす29日は、明治4年7月14日(新暦では8月29日)に廃藩置県によって秋田県の名前が始めて使用された、「県の記念日」です。新しい時代の幕開けとなった記念の日に、私は県庁の記者クラブで会見を行ない、来年3月に告示される予定の秋田県知事選挙に立候補することを表明いたします。

 その際に述べる所信については直前まで熟慮を重ね、「秋田で暮らす幸せを実現する」ための決意にしたいと思って、準備をしております。そんな中で、3年前に現職の寺田知事に挑んだ記者会見の記録を読み返してみると、何事も恐れず、怯まず、初心を貫いてきた自分がいました。読者の皆さんには始めて公開する記者会見の原稿ですが、当時の私の心情をご理解いただければ幸いです。


  《 秋田県知事選挙に立候補するにあたって 》

                                 平成17年2月8日
                                 秋田県庁記者クラブ・会見室にて

 私、佐藤正一郎は3月31日に告示される秋田県知事選挙に、立候補することに致しました。
 私は昭和28年2月、雄勝郡羽後町上到米の農家に生まれ、地元小中学校を経て、昭和46年3月、県立大曲農業高等学校農業科を卒業しました。
 依頼、農業に従事。農業青年の学習活動である町農業近代化ゼミナールに参加し、県連絡協議会の発足に参画。事務局長も務めました。

 その後、派米研修生として2年間、アメリカに滞在。帰国後の昭和55年3月、羽後町議会議員に初当選。以来3期11年間、務めました。その間、地域活動として「うご牛まつり」「ゆきとぴあ七曲」「嫁来いトラクターデモ」などの企画と実践に携わり、羽後町の地域おこし運動の一翼を担ってきました。

 平成3年4月、初めて羽後町長選挙に立候補。さらに、6月の同出直し選挙に立候補しましたが、ともに落選。再び農業の現場に戻り、大豆の集団転作、スイカ、イチゴなどの栽培に従事。冬期間は岐阜県で土木作業員として出稼ぎも経験しています。
 平成7年、3度目の立候補で羽後町長に初当選。以来今日まで、3期10年間にわたって、その職務に全力を注いでまいりました。
 特に、政争の町と言われた町民の意識改革に努め、町民みんなが力を合わせて、町づくりに取り組めるよう、「人が輝き、人が活きるまちづくり」を目標に町政を推進してまいりました。
 町にとって最重要課題であった市町村合併への対応についても、昭和30年に7ヵ町村が合併して誕生した羽後町であり、ようやく住民に一体感が出てきたこと。人口、面積ともに一定の規模があることなどから、行財政改革を徹底することで合併には参加せず、自立の選択をいたしました。

 県政にあっては8年前、食糧費問題で県民の信頼を失い、その怒りで寺田知事が誕生。生活者の視点でその解決に努め、県民の幅広い支持を得て、4年前に大差で再選されました。山積していた県政の課題解決に取り組んだ寺田知事の頑張りに、私も敬意を表しておりました。
 しかし、2期目の寺田知事の言動と政治手法には、不安を感じるようになりました。トップダウンの意思決定や、県民の意識と乖離した発言。強権的な体質が表面化するなど、負の遺産の清算に取り組んだ1期目のイメージとは全く違い、対等であるべき県と市町村の関係、首長や県議会議員選挙への介入など、疑問を感じることが多くなりました。

 さらに、食糧費問題を解決し、県職員のあり方を厳しく問いかけ、綱紀粛正を誓った知事自らが、県の第3セクターである秋田空港ターミナルビルの交際費で、飲食やゴルフを繰り返していたことは、許されることではなく、県民の一人として理解できません。
 問題発覚後も、社内の対立が背景にあるなどと弁解し、謙虚な反省の言葉も聞かれませんでした。

 私はこうした現状を知るにつれ、怒りを覚えると同時に県政に漂う閉塞感を打破し、「知事が主人公の県政」から「県民が主人公の県政」に。「中央集権の県政」から「地方分権の県政」に。「一極集中の県政」から「地域を活かす県政」にしたいと思うようになりました。

 こうした思いを県民の皆様に伝え、秋田県のもつ豊富な地域資源を活かし、県民が積極的に参画できる県政になるように、県政刷新をめざして、自らの浅学かつ不才を省みずに県知事選挙に立候補することを決意いたしました。

 立候補にあたっては、秋田県のかかえる課題を分析・整理し、その解決のための私の考えをまとめ、県民の皆様にわかりやすく伝えるために、基本政策と公約を後日、発表いたします。

 告示までの残された時間は短いものの、どんよりと秋田県を覆っている雪雲の中に青空の光が差し込むように、県民の皆様が元気になれるように精一杯努力したいと考えております。



 その時から3年6ヶ月。今度は現職批判ではない、「秋田の未来を創造する」ための挑戦です。愛する秋田県の再生を果たすために決意した私の所信については、あすの記者会見の後にこの紙面に掲載いたします。   

by shouichiro_sato | 2008-08-28 23:11 | 政治活動 | Comments(0)  

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