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佐々木前知事、逝去

 1979年から5期、18年にわたって秋田県知事を務めた佐々木喜久治氏(86歳)が、6日朝、東京の病院でご逝去されました。秋田新幹線の開業や高速道路などの高速交通体系の整備、福祉や産業振興の基盤づくりに尽力したものの、5選直後に発覚した県庁の食糧費問題の責任を取って、任期半ばで引責辞任。官僚出身で堅実な行政手腕を発揮していた方だけに、晩年は寂しかったことでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。

 佐々木知事の訃報を聞いて、私はかつて知事の目玉とする政策に異議を唱えたことを思い出しました。それは秋田新幹線の整備構想についてです。佐々木氏が4選を目指した知事選挙の公約だったと思いますが、東北新幹線の盛岡駅から田沢湖線経由で大曲駅に。そして進行方向を変えて秋田駅に向かうという構想を聞いた時に、羽後町の議会議員だった私は、「既に開業している山形新幹線を延伸して、奥羽本線を新幹線にするべきだ」と主張しました。県に対する陳情書を起案し、町議会では全会一致で採択されました。しかしながら、湯沢・雄勝地域の総意とすることができず(力不足?です)、運動は頓挫してしまいました。

 当時、湯沢雄勝地域の市町村長のリーダーである湯沢市長は県庁出身。議会のまとめ役である議長会会長は、佐々木知事のご子息にお嬢さんが嫁いだばかり。そうしたことが背景にあるとは思いませんが、県庁の担当部長が来て、「奥羽本線は諦めてほしい。やがて、リニア構想が具現化したときには、東北中央新幹線が来るだろう」などと夢幻の話をされていたと、羽後町の町長から聴かされた記憶があります。

 私が町長に就任したのは平成7年。佐々木知事には市町村訪問で来町された際、様々な要望もさせていただきました。西馬音内盆踊りにも来ていただきましたが、その日は運悪く、雨模様。それでも体育館での踊りを愛用のカメラで熱心に撮影されていた姿が思い出されます。○○酒造会社の冷用大吟醸酒が大好きで、豪快に飲まれていたことも懐かしいです。 合掌。

by shouichiro_sato | 2008-05-07 23:01 | 秋田県 | Comments(0)  

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