甚助神社
2007年 08月 06日
その墓地の目前には、「甚助神社」があります。昔(正保2年)上到米地域が大凶作に遭遇した時、秋田・佐竹藩主に直訴して年貢の引き下げを実現した長百姓・甚助を奉った神社です。当時、殿様に直訴することは命がけの行動であり、「義民・甚助の碑」の傍らには、村人を救うために決死の覚悟で決断した経緯などが書かれた説明もあり、羽後町郷土カルタにも、「農民を 救い栄える 甚助神社」と詠まれている場所です。 (写真)

墓地の清掃が終わってから神社に立ち寄ってきましたが、村の先人たちの苦労が偲ばれて、感慨無量のものがありました。わが村でさえこうした歴史があるのですから、県内各地、いや全国の村々にはそれぞれの蓄積された歴史があり、多くの先人達の血と汗が流されているのでしょう。そうした故郷がいつの間にか崩壊し、そこで暮らすことすら難しくなってきている昨今ですから、深刻な事態です。
先の参院選でも、疲弊する農村や地域の「怒り」が明らかになったように、中央の政策で地方が犠牲になってはたまりません。一部の富裕層が快適な暮らしをする国よりも、狭い島国なのですから、全国各地で暮らしていくことに幸福(しあわせ)を実感できる日本にしたいものですね。甚助様の歴史を読み返して、改めてそんな想いを強くしました。
―――― さて、子どものころは6日の夜には玄関前に火をたいて先祖の霊を迎えたものですが、そんな習慣も今は無し。夏休みだというのに、花火に喜ぶ子どもの声も聞こえませんから、せめて今夜は先祖に感謝して、静かにしていましょう。
by shouichiro_sato | 2007-08-06 22:03 | 地域活動 | Comments(0)