「3月31日」
2007年 03月 31日
今から2年前の3月31日に秋田県知事選挙が告示され、立候補を届け出た私は自動的に羽後町長の職を失職。新たな挑戦の始まった日なのです。いま思えば、「無謀」とか「世間知らず」と言われた挑戦でしたが、住民生活に身近な地方自治に関わってきたものとしては、「このままの秋田県政ではいけない」という信念が自分を奮い立たせ、決意したのでした。
そんな記念日と知ってか知らずか、今夜は我家に羽後町田代の盟友が弔問に来てくださいました。県庁での出馬表明の記者会見に同行してくれた剛さんを始め、17日間の知事選挙をともに戦った選挙カーの運転手である直助さん。準備期間から寝食をともにした則夫さん。公務員でありながら年休を取って県北まで着替えを届けてくれた○○さん。落選したあとに慰労会の会場を提供してくれた孝男さん。お父さんの時代から応援してくれている山さん。ヤタラな先輩の運転手をいつも務めてくれている恒さんなど、お世話になった皆さんです。日頃から顔なじみの仲間が祭壇の前で、「西国33ヶ所・御詠歌(通称・ふだらく)」を捧げて、父の供養をしてくださいました。私も追唱しながら、感謝の気持がこみ上げてきて、目頭を熱くしてしまいました。ありがたいものですね。
それにしても、月日の経つのは早いもの。あっという間に過ぎてしまった2年間でした。それは、3選を果たした寺田知事にとっても同じことでしょう。お互いに候補者として自分の思いを精一杯訴え、県民の審判に従って今があるのですから、当選した寺田氏は知事として、落選した私は候補者になったものとして、お互いにこの4年間は責任があると思っています。ゆえに、私も一県民の立場でできる政治活動を続けていこうと決意したのでした。
秋田県の過疎地である羽後町の山村で、「秋田県の元気を創造しよう」と、供養の酒を飲み交わしたひと時。「盟友に感謝、感謝の夜更けかな・・・・・・・」
by shouichiro_sato | 2007-03-31 22:42 | 家族・仲間 | Comments(0)