岐阜に戻りました
2007年 01月 28日
父と町立羽後病院とは、長期間の付き合いがあります。20年程前には胆のう摘出手術。8年前には内視鏡による胃の手術。そして昨年4月には、大腸の一部を切り取る手術など、どれもが自覚症状があって検査を受け、本人や家族が理解したうえでの入院でしたが、今回は違いました。
23日の午前6時頃、母が気づいた時には父の意識は無く、手足は痙攣状態。眼の反応も無かったといいます。直ぐに家族が救急車の出動をお願いしたものの、西馬音内の消防署と我が家の距離は約15km。途中には峠道がありますから、到着したのは6時半過ぎ。救急手当てをしながら病院へ搬送。運よく主治医の先生が宿直で、さっそく診断。当初の症状は脳内出血によるものと思われたそうです。
しかし、同病院の最新鋭設備であるマルチスライスCTで撮影したところ、出血ではなく、脳内組織の膨張によって様々な障害がでている模様。「頭蓋内圧降下剤?」などの点滴によって、一命をとり止めました。私が病院に到着した同日の午後5時には、意識レベルの回復の兆しが見られ、翌日には会話も可能に。以来、徐々に様々な感覚が戻ってきたのです。先生の説明に納得しながら、医学には無知な私も「すごいもんだ」と関心してしまいました。
ところで、秋田県内の救急医療体制を調べてみると、拠点病院に近い市街地はともかく、救急車の依頼をしてから病院へ到着するまでの時間距離には、大きな地域格差があります。特に医療の高度化に伴い、特定の中核病院に設備が集中する傾向にありますから、地域医療のネットワークづくりが重要です。地方の病院であっても、一定水準の設備を整えることによって、医師の充足にもつながるでしょう。
新しい病院を建設すれば医療が充実したと思ってはいけません。設備やスタッフも合わせて整備することで、県民の期待に応える病院になるはずです。そういう視点で県内医療のあり方を考えた6日間でした。
by shouichiro_sato | 2007-01-28 21:26 | 羽後町 | Comments(0)