「慰労会」が開催されました
2006年 12月 16日
羽後町の田代地域では、私の親の代から多くの人達が同社に働きに来ています。そうした歴史と縁のある会社ですので、毎年、就労開始早々かこの時期に、会社が主催する歓迎会や慰労会(忘年会)が開かれていました。今夜は秋田班のみならず、青森班や岐阜県内の作業員グループ30人程が招待され、楽しいひと時を過ごしてきました。
季節労働者(出稼ぎ)といえば、劣悪な環境下で肉体労働をしている印象になりがちですが、㈱市川工務店の場合は就労条件や宿舎も良好で、サラリーマンの単身赴任と変わりありません。バブル期には様々な建設会社を渡り歩く人もいたものの、同社の場合は同じ作業員が定着しているのも特徴です。今夜の「慰労会」でも岡部勝・取締役副社長が自ら出席され、現場作業員に感謝の言葉を述べてくれました。私が11年ぶりに岐阜に戻って来たことや、かつて副社長が部長時代に羽後町に行ったことなどを紹介いただき、恐縮してしまいました。
いずれにしても、故郷を離れて頑張っている皆さんには私も感心してしまいます。羽後町では昭和40年代後半には、3200戸の農家から3500人もの人達が冬期間は県外で働いておりました。米作中心の暮らしでしたので、現金収入を求めて誰もが働きに出ていました。そうした努力が今までの町を支えてきたと言っても過言ではありません。その後は少子化で人口減少が続き、一方で企業誘致の成果もあって減少し、今年は300人を割っています。
それは全県的な状況であり、県では永年継続してきた「出稼ぎ援護事業」を来年から中止す方針を決定しています。就労前の無料健康診断や東京・名古屋などで相談所の開設などを実施してきましたが、「出稼ぎ」を特別扱いする時代ではなくなったのでしょう。ただし、自分がその身になってみるとちょっと複雑な思いもしますが、県内の産業振興と雇用拡大が急務ですから、それらの施策に期待しましょう。
それだけに、今夜の「慰労会」は有意義なひと時でした。
by shouichiro_sato | 2006-12-16 23:45 | 出稼ぎ | Comments(1)