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まもなく水没、「徳山村」

 「徳山村」は岐阜県の北西部、揖斐川の最上流にあった村。1957年に調査が始まった多目的の徳山ダムの建設により、1987年4月には全ての家屋が移転して無人となり、この秋からいよいよ水を溜める試験が始まっています。最後の住民は466戸、1583人でした。

 日曜日の19日、紅葉前線も中部地方に来ていると聞きましたから、宿舎から片道1時間30分にある紅葉の名所、揖斐川渓谷と徳山ダムの建設地まで行ってきました。ダム本体を過ぎて旧徳山村に入ると、20年前に移転を完了した集落の面影はなく、水没間じかの橋や道路だけがありました。全山紅葉の冠山(標高1200メートル、国道417号線は行止まりで、その先は工事中)の途中には猿が道端にいたりして、かつてここに人々の暮らしがあったとは想像できない状況です。

 終点からの帰り道に揖斐川町藤崎(徳山村が無人になってから合併した村)にある、「徳山民俗資料収蔵庫」に立ち寄りました。徳山村は、ブナやミズナラ、トチノキ、ケヤキなどの巨樹の生い茂る樹林に囲まれ、そこで営まれる山村の生活の具体相を知ることができる日本の最西端。伝統的な生活様式を解き明かすために、欠かせない地域として早くから注目され、学術的にも重要視されていたのです。同収蔵庫には、長い間に培われてきた山樵や木地屋用具、農具、紡織用具、紙すき、養蚕、狩猟、漁撈、衣生活・食生活、信仰・儀礼等の道具が保存されており、5890点もの「徳山の山村生産用具」は、国の重要有形民族文化財に登録されていました。

 それらの資料を見ると、「人間とは逞しいものだ。生活の知恵の結晶だ」と感動してしまいます。今日の私達の生活も、こうした先祖のたゆまぬ努力があってこそあるのだと、訴えてくるものがあり、自然の恵みと共生してきた当時の人達の姿が目に浮かんできました。

 世の中はさらに変化していきます。果たして、これからの私達にはそうした逞しさがあるでしょうか。人間の知恵は無限かもしれませんが、「逞しく生きるため」には水没する徳山村の歴史を後世に伝える責任があると考えた、一日でした。 

by shouichiro_sato | 2006-11-19 19:26 | 出稼ぎ | Comments(0)  

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