寒中の花嫁道中が羽後町の風物詩、いや伝統行事となってきた「ゆきとぴあ七曲」が始まって40年。今日は今まで関わってきた仲間が集まり、40周年の記念式典と祝賀会が開かれました。
(写真・挨拶する「ゆきとぴあ七曲」阿部剛実行委員長。町コミュニテーセンター)
40年前の羽後町田代地域の冬は、ようやく幹線道路の除雪ができるようになったものの、出稼ぎしている人も多く、寂しい?状況でした。そんな中で田代の若者たちから出てきた話は、「雪国こそ楽園」だとして、西馬音内と田代を結ぶ県道の難所「七曲峠」をスキーで滑ろうというものです。バス路線でもある道路を通行止めにして、全長4kmの峠道を滑る「パノラマレース」を企画したのが「ゆきとぴあ七曲」の始まりでした。
以来、地域の年配の方々が話してくれた冬に嫁いできた結婚式のことや、峠道を歩いて往来した当時の苦労話を聞いて、先人の苦労を体験しようとして計画されたのが、前夜祭で行った「花嫁道中」。雪国の暮らしを改善するためのシンポジュームやフォーラム。子供たちと大人が一緒になって準備する「ゆき祭り広場」など、40年の間に「ゆきとぴあ七曲」は進化してきました。
今は「花嫁道中保存会」(菅原弘助会長)が結成され、町内の企業が支援する体制となっている「ゆきとぴあ七曲」。始まった当時の映像などを見ながら歓談し、今後も継続していくことを誓いました。