岐阜市の職場にやって来ました
2006年 11月 06日
今から13年前の平成5年11月、私はムラの仲間とともに岐阜市にある㈱市川工務店にお世話になりました。同社は私の地域にとって、親の代からお世話になっている岐阜県でも有数の総合建設会社(ホームページをご覧ください)で、私の母も70歳になるまでの13年間、宿舎の炊事担当をしておりました。
当時、町長選挙に2回立候補したものの当選できなかった私は、全ての役職を離れて夏は農業に専念し、最初の冬は地域の縫製工場でミシン踏み。翌年は横手市にある妻の実家で県物産展の応援。そして2年間は岐阜市で土木作業員をしていました。いま思うと、こうした異業種体験は様々な職業に対する理解を深め、一生懸命に頑張っている人たちの立場で物事を見ることができた貴重な時間であり、その後の3度目の町長選挙立候補と、当選して町政を執行する時の大きな力になりました。
知事選挙に挑戦した時も仲間の皆さんからは、「また岐阜に帰って来い」と激励されていましたし、私も「ダメな時には頼む」と約束していましたので、実は、今日から来年春までの半年間、再びお世話になることにしました。しかし、政治活動を止めるのではありませんし、秋田県から逃避するのでもありません。むしろこの機会に、日本国内で最も元気のある中京地域の産業や地域づくりの現状を現地で勉強し、秋田を離れて秋田のこれからを考える時間にしたいと思い、自分からお願いしてやって来たのです。
幸いにもこの10年の間に情報伝達手段は飛躍的に進歩し、このように日々の状況を皆様に報告できるようになった他、インターネットを通じて秋田や日本、世界の動きを瞬時に把握できるのですから、心配はいりません。「秋田、これでいい会?」の事務所への電話等についても、ダイレクトで私に転送されていますし、事務局スタッフが日常の管理をしてくれますので、私も安心して仕事に打ち込むことができます。 政治活動を持続していくためにも、私自身の経済的な自立は必須条件であり、こうした我が儘にご理解とご協力をいただいた皆さんには、衷心より感謝申し上げます。
という訳で、今日からは「秋田、これでいい会?」岐阜出張所から発信してまいります。引き続きご愛読ください。
by shouichiro_sato | 2006-11-06 19:49 | 出稼ぎ | Comments(1)