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名誉県民・小畑勇二郎さん、生誕100年

 私が元秋田県知事・小畑勇二郎さんと親しく話すことができたのは、今から32年前、昭和50年の5月でした。秋田市寺内にある県青年の家で開かれた研修の講師として、県内各市町村から集まった200人ほどの青年達にお話をされました。それまでは名前は知っているものの、大会などで遠くから挨拶を聞く程度ですから、どんな方だろうと興味をもっておりました。ところが、とても穏和で優しく、そして情熱あふれる知事さんだった印象が残っています。そして帰り際に、参加した一人ひとりに自筆の色紙をプレゼントされました。私は、「享けし命をうべないて」の言葉に、「祝佐藤正一郎君」と名前まで添えていただきました。

 小畑さんは明治39年9月19日、当時の早口村(現・大館市)に生まれ、尋常高等小学校の代用教員から村役場書記。昭和9年に県北秋田財務事務所勤務。昭和20年には知事官房文書課長、その後は民生部長や総務部長を歴任。昭和26年の知事選挙に出馬するものの落選。しかし再度の挑戦となる昭和30年4月、(48歳で)見事に当選し、以来、6期24年間にわたって、秋田県の社会基盤や産業の発展に尽力されました。県財政の再建をはじめ、まごころ国体の開催、八郎潟干拓、秋田大学医学部誘致、生涯教育の推進など、その功績は今も語り継がれています。

 私もその後に県農業近代化ゼミナールの活動を通して、小畑さんにはお世話になりました。当時の秘書課長が羽後町出身の後藤孝一さんだったこともあり、県庁の知事室や市内の知事公舎に仲間達と押しかけては意見交換させていただき、その上に好子夫人にご迷惑をかけた(ご馳走になった)ことを覚えています。知事退任後もそうした交流は続き、土崎将軍野の(退任後に新築)自宅を会場にした「小畑農業学校の会」は、逝去される前年の昭和56年まで開かれていました。

 17日は大館市民会館に、小畑さんに縁のある有志が800人も集まり、生誕100年記念式典が行われた後、秋北ホテルで「語らいの夕べ」が開催されました。パーテーの冒頭、昭和50年4月の(最後の)知事選挙での演説の録音が会場に放送されました。独特な(ちょっと訛りがあるような)声と穏やかな話し方で聴衆に訴える様子が目に浮かび、今でもこの会場に現れるような雰囲気がありました。参加した皆さんの心の中にはまだ、「小畑さんは生きている」んですネ。

 32年前の色紙は我が家の奥の間に、知事退任記念にいただいた色紙、「我乃外皆吾師」は自分の書斎に掲げて家宝にしています。もっともっと様々なことを教えていただきたかったし、もしも今ご存命なら、秋田県の現状についてどういうお話をされるのか、聞いてみたいところです。

by shouichiro_sato | 2006-09-18 12:03 | 今日の出来事 | Comments(0)  

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