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幼い子供を犠牲にするな

 「まさか?」と思うほど、いまだに信じられない事件が自然豊かな白神山地の麓、山本郡藤里町で発生しました。小学1年生の男児が殺害、遺棄された事件は遺体発見から今日で4日目。昨日は遺族や同級生など200人あまりが参列して葬儀が行われました。テレビで伝えられる町教育長の会見からは、深い「悲しみ」と「怒り」がにじみ出ていて、目頭が熱くなってしまいました。

 わずか1ヶ月前には、男児の住む2軒隣の小学4年生の女児が行方不明になり、水死体で見つかっているなど、「故郷の原風景が残るような農山村で一体、何があったのか?」と、不安は募るばかりです。能代警察署に置かれた捜査本部には一日でも早い事件の全面解決、犯人逮捕を願ってやみません。

 それにしても最近、全国的に幼い子供が犠牲になる事件が多すぎます。何も抵抗できない弱者を狙った卑怯な犯罪は人間関係の希薄な都会の出来事かと思っていましたが、ここに来て田園豊かな農村地帯でも多発していることに、背筋が凍てつく感じがします。登下校は親が送迎しなければいけなかったり、外で子供たちが遊べないなどというのは、秋田では考えられない光景ですが、しかし現実には私の住む町でも「○○地区子供を守る会」が7箇所に結成され、パトロールや広報・啓蒙活動を開始しました。

 かつて、村ではどこの家の子供であれみんなが声をかけていましたが、いつの間にか「隣は何をする人ぞ」「うちの子供には指図をしないで」となってきたのも事実です。しかし、出会った人に「おはようございます」と挨拶もできない社会は問題です。犯罪行為は言語道断ですが、「思いやり」や「優しさ」といった大事なものまで置き去りにされないよう、慎重に対応しましょう。

by shouichiro_sato | 2006-05-22 15:02 | 社会・話題 | Comments(1)

 

Commented by YM at 2006-05-22 19:32
なぜなのでしょう。考えられることは、教育の衰退とバブルの崩壊のつけが、現れ始めているのでは・・・。古き良き教えをたたみこみ、新しいものを、進歩として着替えてしまった町並み、教科書、アメリカナイズされた価値観。どれもが重なり合って、「損得」で動くようになってしまった社会。生まれたときから、製造された音と映像の世界に浸かり、人が人でなくなる恐怖に気づかない私たち大人・・・気づいた大人達が、急いで軌道修正しないと、世界は戦争ではなく、隣人に滅ばされるかもしれない。いまこそ知恵を出し合って命がけで修正しましょう。まずは、家庭から、そして地域へ。『人は生きるために生まれてくるのだ』と言うことを確認しあいましょう。

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