3ヶ月ぶり
2011年 04月 14日
東日本大震災の影響で秋田新幹線が利用できず、東京から上越新幹線で新潟へ行き、羽越線の特急いなほ号で羽後本荘駅まで。山形新幹線は昨日から東京-新庄間の運転を再開していましたが、帰省の日程を決める時点では復旧の見通しが立たず、いつもと違うルートです。
長いトンネルを幾つもぬけて広大な越後平野に入ると、2004年に発生した新潟県中越地震を思い出しました。マグニチュードは6.8ながら、震源の深さは13kmの直下型地震。川口町(現在は長岡市)では震度7を記録しています。
走行中の新幹線が脱線したり、高速道路や多くの幹線道路が寸断され、山間部の集落では交通や通信の手段を失い、旧山古志村などが孤立した状況は忘れられません。
また、羽越線を使って今回の東日本大震災の被災地に横浜にある製油所から燃料が輸送されており、鉄道や道路のネットワークの重要性を再認識することにもなりました。
経済性と効率を追求するあまり、一極集中になってきた社会や産業構造の脆さを直撃した大災害でした。特に東日本では、東京から放射線状に高速道路や新幹線が整備されてきましたが、複数の縦軸や横軸がなければ、首都圏の経済や生活も危機に直面することが明確になりました。
新潟県から秋田県にかけての日本海沿岸高速道路、山形県新庄市と秋田県湯沢市を結ぶ東北縦貫高速道路の整備は絶対に必要です。「コンクリートから人へ」と訴えた政党もありましたが、基本的なネットワークについてはしっかり整備することが重要だと、強く感じた帰省の旅でした。
by shouichiro_sato | 2011-04-14 22:40 | 出稼ぎ | Comments(0)