千田鐵太郎さん
2009年 09月 09日

八郎潟の水産資源で佃煮を製造・販売する㈱千田佐市商店の3代目として昭和4年に生まれた千田さんは、家業に専念していた40代に胃癌を発症して手術。回復後は「もらった命を町づくりに捧げよう」と決心し、町議会議員に初当選したのが昭和48年9月9日でした。(偶然にも、それから36年が経ったきょう、9月9日がお別れの日になるとは・・・・)
以来、町議会副議長や議長を歴任。町議4期目途中の昭和62年、前町長の急逝に伴い町長選に出馬して初当選。2期目以降は無競争で当選を重ね、平成17年に昭和町、天王町、飯田川町との3町による合併で潟上市が誕生するまで、17年10ヶ月に亘って地域の振興・発展にご尽力されています。
その間、南秋田郡町村会長や県町村会副会長、全国町村下水道推進協議会長も務められ、平成18年秋の叙勲で「旭日小綬章」に輝きました。
葬儀委員長の石川光男・潟上市長が葬送の辞を述べたあと、金田勝年・衆議院議員、藤原幸作・潟上市議会議長、金足農業高校の同級生でもある小玉久男・旧飯田川町長ら6人が弔辞を捧げ、故人の人柄や功績を讃えました。
さらに、お孫さんの千田桂太さんと浩太さんが「祖父の生き方を尊敬している。(臨終の際には手を握り)祖父の血が僕達にも流れているから心配いらないと言った。祖父の人生に拍手を送ってほしい」「フレーフレー、頑張れ!と励ましてくれたお祖父ちゃん、ありがとう」とお別れの言葉。会場は桂太さんの言葉に誘われて、大きな拍手につつまれました。
私も羽後町長に就任以降、今日まで公私に亘ってご指導とご交誼をいただきました。心から感謝を申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
by shouichiro_sato | 2009-09-09 23:58 | 今日の出来事 | Comments(0)