知事選奮闘記⑧ 「世論調査」
2009年 04月 23日

今回の知事選では、自民党や民主党の統一候補として県出身者のジャーナリストや官僚の擁立を目指したものの、それは実現しませんでした。正月過ぎから、ようやく佐竹さんや川口さんの名前が新聞紙上に登場し、いち早く民主党県連が「川口さん支持」の方針を決定。一方、社民党県本部や連合秋田は寺田知事の路線継承を嫌って佐竹さん支持を表明。やがて自民党県連も佐竹さんの支持を決めたことから、政党色が表面化する選挙戦が予想されました。それ故にわが陣営は、国政の状況を逆手にとって「太郎でもない、一郎でもない。おらほの正一郎だ」とのキャッチフレーズで、「県民党」の立場を強調する戦略を展開したのです。
実際、民主党県連は県内全域で機関紙を二回も配布し、川口さんの小坂町長としての実績をアピール。魁新報なども川口さんの動向を毎日のように一面で報道していましたから、一気に知名度を高めていきます。一方、佐竹さんは誰もが知っている「秋田の殿様」で、知名度は抜群。しかし、お二人とも告示が近づくと支持している政党色を出さないように配慮し、「県民党」「秋田党」であることを強調してきました。
そうして始まった選挙戦。県議会議員の皆さんは自民党や社民党議員が多いのに、あえて無所属議員を代表にして超党派で佐竹さんの支援組織をつくり、県内を行脚。川口さんを支援する国会議員や県議会議員の動きも活発でした。投票日一週間前の調査結果は、こうした支援組織の実情を反映して、支持率で概ね「佐竹さん50%、川口さん30%、私と藤本さんで20%」だった模様です。。新聞の見出しはこの数字から来たもので、ここから「佐竹さん」か「川口さん」かに、有権者の関心が移っていきます。
選挙戦の前半を地元中心に、かつ農業が基幹産業である県南部を遊説していた私は、充分な手応えを感じていました。しかし、新聞報道後に遊説した県北部では「今度は県北から知事を誕生させよう」というムードも高まっており、「太郎でも、一郎でもない」というより、「佐竹さんか、川口さんか」の選択になっていました。
終盤には遊説していても「潮が退いていく」ような感じを受け、私は「これは厳しい」と認めざるを得ません。さあ、どうしましょう。残す数日に、起死回生の戦略はあるのでしょうか・・・・・・・。
by shouichiro_sato | 2009-04-23 21:24 | 秋田県知事選挙 | Comments(0)