カテゴリ:東日本大震災( 30 )

 

6年が経過

 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から、きょうで6年となりました。未だに12万人を超える人が避難生活をしており、被災地の復興事業が遅れていることから、被災地の人口減少が進むなどの影響がでています。

 大津波により壊滅的な被害に遭った太平洋沿岸の地域。土地の嵩上げや堤防工事などが行われているものの、6年も経過すると人々が再びその地で生活できるのか。高齢化も進んでおり、心配です。

 さらに原発事故の地域では、除染作業が行われて帰還可能な地域が広がっても、生活再建への道のりはまだまだ遠く、困難な状況です。

 過ぎてしまえが「アッという間の6年」のようですが、6年経ってもこの惨状であり、大災害や原発の恐ろしさに、心が痛みます。

by shouichiro_sato | 2017-03-11 23:16 | 東日本大震災 | Comments(0)  

大震災から5年

 2011年3月11日午後2時46分に発生し、宮城県では最大震度7を観測した東日本大震災。太平洋沿岸を襲った大津波や東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故では、今までに2万人以上の人が犠牲になり、今も17万4千人の人々が避難生活をしています。

 復旧・復興へ向けての取り組みは進んでいるものの、「まちづくり」はまだまだ。津波に襲われた市街地などは今でも大半が更地になっており、故郷に帰れない人も多く、人口流出も続いています。

 大震災から5年とはいうものの・・・・、5年経っても、その爪痕はまだまだ残酷です。決して風化させることなく、被災地への思いを持ち続けましょう。

by shouichiro_sato | 2016-03-11 22:38 | 東日本大震災 | Comments(0)  

被災地の復興②

 昨日に続いて、きょうは岩手県大船渡市、陸前高田市、宮城県気仙沼市を訪ねました。

 大船渡市役所では鎌田・復興政策課長から、復興計画と進捗状況の説明を受け、壊滅的な被害を受けた市中心部の大船渡町地域と漁港を視察。機能を回復しつつある魚市場と再建なった加工工場群に安堵しましたが、中心市街地の都市計画は区画整理と土地造成の段階。高台に建設されている公営住宅の工事も途中で、まだまだ、これからです。

 海に面していた広大な市街地が壊滅した陸前高田市では、巨大なベルトコンベアーを使って大規模な嵩上げ工事の真っ最中。復興状況を説明する施設には、新たな街の姿が描かれた図面はあるものの、その前提となる土地の基盤整備がいつまでに完了するのか。あまりにも広範囲で高さのある堤防工事や地盤の嵩上げだけに、心配になりました。
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  (写真・陸前高田市の海岸に立つ「一本松」と、倒壊したユースホステル。その向こうでは巨大な防潮堤防の工事が行なわれていました。)

 「かつおの水揚げ日本一」の気仙沼港では、出漁を待つ大型漁船が数十隻結集しており、魚市場も活気を取り戻しています。漁港や関連施設が復旧したことで、主産業である水産業が回復。一方、大型の貨物船が800mも陸地に打ち上げられた市街地では、道路や土地の嵩上げ工事が進行中。商店などの建物が建設されるのはまだまだ先のようです。

 大震災から、4年4ヶ月。大津波で被災した地域では、新たな街での営みが始まるには、まだまだ時間がかかりそうです。

by shouichiro_sato | 2015-07-30 23:23 | 東日本大震災 | Comments(0)  

被災地の復興①

 東日本大震災の復興状況を調査するため、岩手県久慈市と県立宮古病院、大槌町などを訪ねました。

 大津波で未曾有の被害を被った、東北地方の太平洋沿岸。6月には宮城県石巻市や名取市、福島県いわき市などを訪問しており、今回は岩手県の北部から国道45号に沿って南下しました。

 久慈市では一田・総合政策部長の案内で、復興なった国家石油備蓄基地と工事中の水族館の地域。それにNHKの連続ドラマ「あまちゃん」のロケ地で有名になった小袖海岸へ。大きな被害を受けながらも、順調に復興が進んでいる模様です。

 沿岸部の災害拠点病院である県立宮古病院では、吉田・事務局長が交通や通信、電気が途絶えた中での対応を赤裸々に報告。病院スタッフの献身的な取り組みが、その後の地域の復興に大きな役割を果たしていると感じてきました。

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  (写真・久慈市小袖海岸では、1日から開かれる祭りの準備で大忙しでした)

by shouichiro_sato | 2015-07-29 21:11 | 東日本大震災 | Comments(0)  

原発事故の地

 宮城県名取市の閑上地域でも、市民の皆さんによる海岸への松の植樹が進んでいましたが、居住地域の造成などのまちづくり事業は始まったばかりの印象でした。

 (資料作成中)

 その後、先ごろ全線開通したばかりの常磐自動車道を通って、福島県いわき市へ。途中、福島第一原発に近い「帰還困難地域」では、車の動きや人影もなく、農地も荒廃のままで草木が生い茂っていました。さらには、除染作業で集まった多数の黒いトンバックが、あちらこちらに集積されていました。

 自家用車で移動したため、ドライバーの私は写真を撮ることはできませんが、沿線には放射能の測定値表示板が所々にあり、無人となった集落の状況は想像を絶する光景でした。

by shouichiro_sato | 2015-06-02 22:23 | 東日本大震災 | Comments(0)  

被災地を訪問

 きょうから2日間の計画で、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町、女川町、石巻市、名取市と福島県を訪問しています。

 大震災から5年目となり、巨大な津波に襲われた宮城県の沿岸地域では、地域づくり計画に基づく土地のかさ上げ工事が進んでいました。ただ、いつ頃までに完了し、その後のまちづくりができるのか、心配です。

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   (写真・南三陸町の防災庁舎周辺では、最大10mのかさ上げ工事が進行中)

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   (写真・町立女川病院の駐車場から見える町の中心部は、造成作業の真最中)

by shouichiro_sato | 2015-06-01 22:26 | 東日本大震災 | Comments(0)  

進まぬ「復興」

 東日本大震災から3年半。大津波で被災した石巻市、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市などを一年ぶりに訪問しました。水産業などの仕事は徐々に回復しているとはいうものの、大津波で破壊されたほとんどの地域は、ようやく土地利用の計画が動き出したばかりで、土地の嵩上げ工事や(山を削って)高台の宅地造成工事の真最中でした。

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  (写真・津波で倒れたビルが残っている町の中心部。女川町立病院駐車場から)

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   (嵩上げの土砂を運ぶベルトコンベアが伸びる、陸前高田市の一本松付近) 

by shouichiro_sato | 2014-09-06 23:34 | 東日本大震災 | Comments(0)  

大震災から3年

 東日本大震災からきょうで3年が経ちました。今なお26万人を超える人が避難生活を強いられており、約10万4千世帯が仮設住宅で暮らしています。

 大津波に襲われ、街が壊滅した地域では産業の再生や住宅の復興も進まず、メトルダウン事故があった東京電力福島第一原発の収束も、めどが立っていません。

by shouichiro_sato | 2014-03-11 21:36 | 東日本大震災 | Comments(0)  

震災から1000日

 東日本大震災から4日で、1000日目。今でも約27万人が避難して仮設住宅などで暮らしており、被災地の復興は捗っていません。特に原発事故があった福島県では、依然として14万人以上の人が避難生活をしています。

by shouichiro_sato | 2013-12-04 22:31 | 東日本大震災 | Comments(0)  

被災地、その後

 きょうは2年前に発生した東日本大震災で、大津波の被害にあった宮城県から岩手県の沿岸部、石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市を訪問してきました。

 昨年訪ねた時にあったがれきの山や積み上げられた車、壊れた家屋、被災した学校や病院などの公共施設などはほとんど解体されて無くなっていましたが、街の中心部だった場所が何もない土地となって広がっている状態に、あらためて言葉を失いました。

 テレビなどでは操業を再開した工場などが時々紹介されていますが、それも極一部のこと。津波などへの防災対策はもとより、どんな街をつくっていくのか、住宅の再建はどうするのか、等々、これからの課題が多過ぎます。

 個人ができる復興支援策は限られていますが、是非とも現地を訪ねてもらいたいものです。

by shouichiro_sato | 2013-05-14 22:57 | 東日本大震災 | Comments(0)