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「東北新生園」を訪問しました

 今日、宮城県登米市迫町にあるハンセン病の国立療養施設、「東北新生園」を訪ねてきました。 
 
 羽後町の前町議会議員・鈴木尚さんが、ボランテアの仲間とともに「新生園」の慰問を始めて今年で9回目。5年程前からは鈴木さんの要請もあって、入所されている秋田県人会の皆さんに、町長としての「メッセージ」を届けてもらっていましたが、今回は(男性は私だけで)女性18人の仲間に入れていただきました。勿論、私には初めての訪問です。

 平成8年に「らい予防法」が廃止になり、同13年の「熊本訴訟判決」に対して国(当時の小泉首相)が控訴を断念し、ようやく入所者の人権回復に大きな一歩が踏み出されたというものの、ハンセン病には一世紀に渡り、誤解と差別、偏見が続いてきた歴史があります。昭和14年に開園された「新生園」でも、語るに尽くせない苦難の出来事があったと思われますが、出迎えてくれた秋田県人会会長の佐藤雄輔さんや入所者の皆さんの表情がとても明るくて、私自身が「ホットした、安心した」というのが正直な気持ちでした。

 到着後、参加者は町から持参した新米の「あきたこまち」でおにぎりを作り、「いものこ汁」や手作りの惣菜で昼食を準備します。その間、私は施設の内部を案内してもらいました。敷地はなんと350ヘクタール(約100万坪)。入所者は最も多い時で500人を超えていたそうですが、多くの人が施設内で亡くなり、現在は160人ほど。園内がそのまま一つの集落のようであり、郵便局やお店、理容所、診療所、運動場などもありました。寺院や教会などの宗教施設も目立ちます。霊安堂には、未だに故郷に帰れないご遺骨も安置されており、胸のつまる思いでした。

 それでも今年7月、登米・栗原の両市議会が「ハンセン病療養所を地域に開かれた医療・福祉施設として存続・発展させることを求める意見書」を採択して関係機関に提出したり、施設内では快適な居住環境整備のための(マンションのような3階建の)建設工事も行われているなど、将来構想の実現に向けて大きく動き出しておりました。入所者のほとんどは既に治癒している元患者ですが、平均年齢は77.5歳にもなっていますから、高齢と病気の後遺症による障害に対しての介護をしっかりと行い、今後は安心して暮らせるように、万全の対策を希望してきました。

 「らい予防法」廃止から3年後に初めて浅野・宮城県知事が訪問して、「県の対応にも誤りがあった」と謝罪したことが、資料館の年表に記録されていました。その後も浅野知事は訪ねていますし、岩手県の増田知事も訪問しています。今年7月31日には新しい宮城県知事・村井さんも来園し、霊安堂に献花していました。佐藤会長によると、「残念ながら秋田県知事はまだ来てくれません」とのこと。私は「候補者で申し訳ありません」と言いながら、お互いに笑顔で固い握手を交わしてきました。

 《追記》 昼食後は集会室にある最新の通信カラオケシステムで、入所されている皆さんと歌の競演です。私も会長の奥さんと一緒に、「今夜は乾杯」をデユエットさせていただきました。 

by shouichiro_sato | 2006-09-28 23:09 | 今日の出来事 | Comments(0)  

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